復習プリントから考える世界史Bの授業・教科書(中世)【魏晋南北朝を大きくつかむ】
《復習プリントから》 *今回は、他のプリントとは少し違った形式にしてあります。
1 魏晋南北朝という時代
★後漢の滅亡から隋が中国を再統一するまでの約370年間
【3世紀前半〜( ア )世紀末】
・北の( イ )世界と中国の農耕世界の対立・交流・融合に注目する
・貴族社会形成への長い過渡期ととらえる
★華北と江南という2つの軸を理解する
政治的中心(都)は
①黄河中流域の( ウ )
②江南の( エ )
★王朝は、2つのラインを押さえる
①<魏→西晋→東晋→南朝>
②<北魏から始まる北朝>
★土地制度・官吏任用制度は、統治システム再編の試みととらえる
→隋・唐が継承・修正
2 三国・西晋と東晋・南朝
○三国時代【3世紀前半〜半ば】
・魏の都は( ウ )
・魏が四川の( オ )を滅ぼし、江南中心の( カ )は西晋に滅ぼされた
○西晋【3世紀後半〜4世紀初め】
・30年余りの短い統一
・( キ )[一族の内乱]で衰え、( イ )民の( ク )に滅ぼされた
●[西晋を受け継いだのが]東晋:都は( エ )【4世紀初め〜5世紀前半】
・多くの漢民族が江南に移住[華北の文化が江南に]→江南の開発
●東晋の流れは、南朝へ[( ケ )→斉→( コ )→陳]:都は( エ )
・東晋〜南朝の貴族文化[呉を含めると六朝文化]
3 華北の状況
■西晋滅亡後の華北には
・( サ )と総称された( イ )民が大挙流入→( サ )十六国時代【4世紀初め〜5世紀前半】
・西域[( シ )世界]から伝わった( ス )教が、この時期に華北で盛んに
→江南にも伝わる
■( サ )のうちの鮮卑が北魏を建国
⇓
北魏が華北を統一【5世紀前半】 ※道教も盛んに
[( セ )まで続く北朝の始まり]
・初めて( イ )民が華北の農耕民を統治
⇓
・中国化の道を選択:( ソ )帝の漢化政策【5世紀後半】、( ウ )に遷都
4 再び統一の時代へ
◇南北の分裂を、北朝系の隋が、華北と長江以南を再統合【( ア )世紀末】
・大運河=華北と江南を結ぶ大動脈
⇓
◇同じく北朝系の唐が再統合を確定【7世紀前半】
【解答】
ア 6 イ 遊牧 ウ 洛陽 エ 建康 オ 蜀 カ 呉 キ 八王の乱 ク 匈奴
ケ 宋 コ 梁 サ 五胡 シ オアシス ス 仏 セ 北周 ソ 孝文
《授業との関連》
□後漢まで何とか理解してきた生徒も、魏晋南北朝で躓くことが多いものですから、このようなプリントを作ってみました。ほぼ、魏晋南北朝に入った最初の授業の再現になっています。
□「木を見て森を見ない」ということわざがありますが、魏晋南北朝の学習は、まさにそうなりがちです。これを避けるために「魏晋南北朝を大きくつかむ」ことを重視しています。【東アジア史の風土的枠組み】を踏まえて、中国史のダイナミックな転回を理解させたいと思っています。
□実際のプリントには、地図(三国時代〜北魏・宋の時代)も載せています。地図を見ながら問題を解いて確認できるようにしてあります。
□北朝が遊牧民の王朝であったため、<魏→西晋→東晋→南朝>が正統とされたことを伝えています。百済や倭王・武が南朝の宋に朝貢したのは、このためです。しかし、北朝系の隋・唐が新たな正統を形成することになりました。
□なお、同時代のユーラシア大陸西部の変動(ゲルマン人の大移動)との関連にも、簡単に触れています。
《教科書との関連》
□本文に魏晋南北朝を概観する記述が必要だと思いますが、最も詳しいのは<山川(新)>です。<山川(詳説)>は、要点をコンパクトにまとめています。
□<実教>は「胡漢融合帝国」という用語を使いながら、コンパクトにまとめています。「胡漢融合帝国」は見出しにも使われています。
□<帝国>は、2つの注でこの時代の特色を簡潔に述べています。「ユーラシア東方の三重構造」という捉え方が見られます。
□<東書>には、魏晋南北朝を概観する記述がありません。