♥世界史ブックガイド[文化と社会]⑤【澁澤龍彦『フローラ逍遙』】

 稀代のフランス文学者による、花についての博物誌的なエッセイ集。「水仙」から「蘭」まで、25の花々が取り上げられています。文庫サイズながら、1つの花に3点の古今東西の植物画がカラーで収録されている、優美な本です。

 花を好きな人ならば絵を眺めているだけでも楽しいかも知れませんが、澁澤さんの文章には豊かな教養が鏤められていて、ハッとするような発見に満ちています。たとえば、「金雀児(えにしだ)」では、プランタジネット(朝)という語の由来がていねいに述べられています。普通のイギリス史の概説書には載っていない内容ですので、得をしたような気持ちになります。日本語の「えにしだ」がラテン語から来ているとは驚きでした。

 「菫(すみれ)」の項には、次のような文章があります。

 『中世になると、スミレは聖母マリアの花として、ますます脚光を浴びるようになる。なぜスミレがとくにマリアに結びつけられたかといえば、その匂いや気品もさることながら、キリスト教の美徳の中でいちばん大事なものとされた謙譲をあらわしていたからだった。「百合」の項でも書いたが、マリアは「謙譲のスミレ、純潔のユリ、そして慈愛のバラ」なのである。この三つの花ほど、中世の美術に頻出する花もないだろう。』

 本書の中で、澁澤さんはプリニウスの『博物誌』に何度も触れています。プリニウスへの関心は、並々ならぬものだったようです。しかし、地中海やヨーロッパの事柄だけ取り上げられているわけではありません。アメリカ大陸原産の花々についても述べられていますし、「牡丹」の項では清代の『聊斎志異』の中の話が紹介され、蕪村や貝原益軒にも言及されるというような具合です。また「薔薇」の項では、イランのイスファハーンやシラーズの旅の思い出が語られ、サーディの詩が引用されています。澁澤さんは、まさに真の文人でした。

 花にまつわる歴史に思いを寄せるのも、世界史の楽しみの一つです。


平凡社ライブラリー[1996年、単行本は1988年]、1456円】