世界史 こんな「考える授業」をしてみました ⑪ 【アレクサンドリアと『聖書』翻訳】
◆「アレクサンドリアと『聖書』翻訳」というタイトルには、多くの方が違和感を感じるかも知れません。
◆世界史では、アレクサンドリアは、アレクサンドロス大王やプトレマイオス朝とだけ結びついています。しかも、一般に、ヘレニズム時代は軽い扱いです。
◆そのため、プトレマイオス朝の滅亡(前30)[=ヘレニズム時代の終了]とともに、アレクサンドリアは視界から消えてしまいます。
◆しかし、前30年に「ヘレニズム時代」が終了しても(ローマの時代になっても)、「ギリシア語文化の時代」は続いていました。王朝や国の興亡だけで、歴史全体を区切ることはできないのです。
◆このことを理解できないと、『新約聖書』がなぜギリシア語で書かれたのかも、わからなくなります。
◆また、専門的な宗教史は別ですが、通常の世界史では(科目「倫理」でも)、アレクサンドリア(ヘレニズム)とユダヤ教・キリスト教(ヘブライズム)とを結びつけて理解するのは、かなり難しいと思います。
◆しかし、実際の歴史は違います。いろいろな原因があるのでしょうが、キリスト教の成立については、歴史の本当のすがたが見えにくくなっています。
◆今回も、いくつかの歴史的事実を突き合わせながら、歴史の見方を更新することを目指しています。
◆今回の授業は、カルチャーセンターで行ったものです。新科目「世界史探究」のことも考えながら書いていますが、高校では、このテーマに多くの時間を割くことは難しいかも知れません。その場合は、重要だと思われる事項をいくつか拾い上げて、授業に生かしていただければと思います。
◆また「倫理」の授業にも役立てていただければ、うれしいです。
【授業での取り上げ方】
質問の後は、少し時間をとって、受講者に考えてもらいます。もちろん、話し合う時間をとるのがベストです。なお、板書は適宜行います。
<前おき・問1>
今日は、アレクサンドリアから考えます。
前30年にプトレマイオス朝が滅びても(ローマの支配になっても)、アレクサンドリアは国際都市としてギリシア的な文化の中心であり続けました(だいたい4世紀までです)。
このアレクサンドリアで、紀元後1世紀に完成した、重要な文化的事業があります。それは、次の①〜④のうち、どれでしょうか?
① ホメロスの『オデュッセイア』
② 『新約聖書』編集
③ ムセイオン(王立研究所)建設
④ 『(旧約)聖書』のギリシア語訳
<正解・解説>
★正解は④です。
★①は前8世紀で、アレクサンドリアとは関係がありません。②と考えた人が多いかも知れませんが、『新約聖書』の完成は4世紀です。③は前3世紀初めです。
★④は、『七十人訳ギリシア語聖書』と呼ばれているものです。初めて聞いたと思います。ヘブライ語からの翻訳が前3世紀に始まり、後1世紀に完成しました。400年にわたる、大変な作業でした。
★この翻訳作業はどんな意味を持っていたのか、今日はこのことを考えてみます。
<問2>
ところで、④で、「(旧約)」とカッコで書いてあるのはどうしてか、わかりますか?
<正解・解説>
★前3世紀から後1世紀という時期ですから、『新約聖書』はまだ成立していません。つまり、この頃は、『聖書』と言えば一つしかありませんでした。ユダヤ教の『聖書』です。そのため()をつけました。
★もう少し説明します。2〜3世紀からキリスト教徒が、ユダヤ教の『聖書』を『旧約聖書』と呼ぶようになっていきます。自分たちの宗教を、明確に「新しい契約」と考えるようになったからです。キリスト教徒にならって、現在も一般的には『旧約聖書』と呼んでいます。しかし、現在のユダヤ教徒にとっても、あくまで『聖書』です。「旧約」ではありません。
<問3>
今の説明でわかるでしょうか。アレクサンドリアのどういう人たちが『(旧約)聖書』をヘブライ語からギリシア語に翻訳したのでしょう?
<正解・解説>
★ユダヤ人です。
★ユダヤ人という語からは、パレスチナやイェルサレムを思い出すでしょう。ヘレニズムのところでも簡単に触れたのですが、ヘレニズム時代には、一時期を除き、もうパレスチナにユダヤ人の国家はありませんでした。
★そのため、ヘレニズム時代には(ヘレニズム時代は300年もありました)、東地中海世界のあちこちに、ユダヤ人が住むようになっていたのです。当時の国際都市アレクサンドリアにも、ユダヤ人がたくさん住んでいました。
★ギリシア語についても、確認しましょう。ヘレニズム時代には、シリア・パレスチナ・エジプトまで、ギリシア語が広まっていたのでした。広くオリエントまで、ギリシア語文化圏ができていたのです。
★そして、ユダヤ人にも、ギリシア語が広まっていました。ギリシア語を話し、読み書きするユダヤ人が、東地中海世界一帯に多数いたのです。
★一方で、ユダヤの文化的伝統が失われることに危機感を持った知識人たちもいました。
★アレクサンドリアに移住したユダヤ人たちも、何代か経過するうち、ギリシア語を話すようになっていました。その人たちのために、知識人たちは『(旧約)聖書』をヘブライ語からギリシア語に翻訳したのです。また、支配層のギリシア人に、ユダヤの文化的伝統のすばらしさを知らせる目的もあったと思います。
★このことは、初期のキリスト教にとっても、たいへん重要な意味を持つことになります。
<問4>
そこで、『新約聖書』のことも確認しておきます。『新約聖書』は何語で書かれたのですか?
<正解>
★ギリシア語でした。四福音書やパウロの手紙は、1世紀にギリシア語で書かれました。(最終的にまとめられたのは4世紀です。)
<問5>
では、まとめに入ります。
『新約聖書』がギリシア語で書かれたことと『七十人訳ギリシア語聖書』が完成していたことととを考え合わせると、キリスト教成立のようすがよくわかります。
キリスト教は、どのような文化圏の中で成立したことになりますか?
もう少し具体的に聞きます。キリスト教は、どんな文化圏を母体としながら、どんな文化圏で成立しましたか?
<正解・解説>
★「キリスト教は、ユダヤ教(ヘブライ語)文化圏を母体としながら、ギリシア語文化圏で成立した」ということですね。
★1世紀には、ギリシア語に翻訳された『(旧約)聖書』がありました。したがって、福音書を書いた人たちは、ギリシア語に翻訳された『(旧約)聖書』を読んでいたのです。また、初期のキリスト教徒は、ギリシア語で書かれた福音書・パウロの手紙などとともに、ギリシア語に翻訳された『(旧約)聖書』を読んでいたわけです。
★これは何を意味するでしょうか? ユダヤの文化的伝統が、ギリシア語に翻訳されたかたちで、非ユダヤ世界に伝わったということです。つまり、「ユダヤの文化的伝統が非ユダヤ世界(ギリシア語世界)にも開かれ、それを変容・発展させるかたちでキリスト教が成立した」ということになります。
★このことが、『新約聖書』とともに『旧約聖書』をも聖典とすることにつながりました。こうして、『旧約聖書』の「アダムとイヴ」や「バベルの塔」の物語が、やがてヨーロッパ中に広がることになったわけです。『七十人訳ギリシア語聖書』は、キリスト教の成立過程で大きな役割を果たしました。
★「翻訳が果たした歴史的役割」については、『新約聖書』・『旧約聖書』のラテン語訳(400年頃)でも触れます。また、イスラーム世界でも中世ヨーロッパ世界でも出てきますので、注意しておいてください。
★なお、アレクサンドリアの教会は五大教会の一つになりました。アレクサンドリアは、ヘレニズム都市の要素を残しながら、キリスト教公認(313)の時期から、キリスト教都市になっていきました。
◆やや難しく感じられたかも知れませんが、『七十人訳ギリシア語聖書』以外は、高校世界史の知識の範囲内で理解できるよう構成したつもりです。
◆今回のような授業のかたちをとらなくても、「初期キリスト教が、限定されたユダヤ教(ヘブライ語)文化圏から生まれながら、広範なギリシア語文化圏で成立したこと」は、明確に伝える必要があります。
◆キリスト教は、広範なギリシア語文化圏で成立・発展しました。その際に『七十人訳ギリシア語聖書』が大きな役割を果たし、ユダヤの文化的伝統がキリスト教の中に流れ込んだのです。
◆なお、初期キリスト教史の重要な出来事に、ニケーア公会議(325)があります。激論を交わしたアタナシウスとアリウスですが、2人ともアレクサンドリア教会の聖職者でした。アレクサンドリアは、初期キリスト教の中で重きをなしたのです。
◆アレクサンドリアが最終的にギリシア的文化の中心でなくなったのは、5世紀初めのことです。多神教の文化の中心と見なされたムセイオンが、キリスト教徒によって襲撃されたのでした。数学者で新プラトン主義者でもあった女性、ヒュパティアは虐殺されました。(このような歴史を知っておくことも大切です。歴史は多角的に見なければなりません。)
【参考文献】
秦剛平『七十人訳ギリシア語聖書入門』(講談社選書メチエ、2018)
E.M.フォースター『アレクサンドリア』(晶文社、1988、現在はちくま学芸文庫)
※今回触れなかったアラム語については、次の記事で書いています。➡<問いからつくる世界史の授業>古代【イエスのことば・聖書の言語】