世界史 こんな「考える授業」をしてみました⑫【フンから考えるユーラシア民族移動】
◆古代世界の終末を、フンと呼ばれた人々の移動から考えてみます。ゲルマン人の大移動の授業で、発展的に取り上げてきました。
◆高校の教科書には「フン人」とあります。しかし、特定の均一な民族ではありませんでした。私は、「ヨーロッパ側からフンと呼ばれた騎馬遊牧民集団」と理解していますので、「人」をつけずに、フンという呼称で使っています。
◆今回は、問いを投げかけて終わっています。普段から少しずつ「考える授業」を試みていれば、問いを投げかけるだけでもいい場合があると思います。
◆なお、「古代末期」という考え方を含め、古代と中世の境目は、ヨーロッパ史の場合も中国史の場合もたいへん興味深い問題ですが、この授業では触れていません。
<前おき>
前の時間、フンの移動・侵入がゲルマン人の大移動のきっかけになったと話しました。今日は、フンからユーラシアの歴史を大きく見てみたいと思います。
確認しておきますね。フンはユーラシア中央部(カザフステップのあたり)の騎馬遊牧民集団でした。フンの侵入により、375年、西ゴート人が移動を開始しました。
フンの西進は350年頃から始まったようです。
<問1および解説>
さっきも話しましたが、今日はユーラシア規模で歴史を見ていきます。
350年とか375年というと、中国はどういう時代でしたか?
あまりピンとこないようですね。では、図表で、魏晋南北朝の年表を見てみましょう。
五胡十六国と東晋の時代ですね。匈奴による西晋の滅亡(316年)の前後から、華北には、続々と遊牧民国家ができていました。
ここから、重要なことが分かります。4世紀から5世紀は、ユーラシア大陸全体で民族移動期だったのです。
この大規模な民族移動で、中国でも、ヨーロッパ側でも、歴史が大きく動きました。それまでの古代世界が、終末を迎えました。その象徴がゲルマン人国家の建国と西ローマ帝国の滅亡(476年)でしたが、中国もまた、漢帝国の終焉(後漢滅亡)後の長い過渡期に入っていたのです。
<問2および解説>
フンに戻ります。
ヨーロッパ側でフンと呼んだわけですが(最初にそう呼んだのはゴート人でしょうか?)、フンという呼び方のもとになったと考えられる騎馬遊牧民がいます。学問的には確定していないのですが、興味深いので、話しておきます。
フンという呼び方のもとになったと考えられる騎馬遊牧民は、次の①〜③のうち、どれだと思いますか?
(時間を取ったあと、何人かに答えてもらいます。)
①の匈奴だと考えられています。
なぜでしょうか? 理由を二つあげてみます。
まず、匈奴の名は中央ユーラシアに鳴り響いており、騎馬遊牧民全体を表す呼称となっていたと言うのです。
次に、匈奴のもともとの発音は、「ヒュンヌ」だったと言われています(中国で漢字表記しました)。
「ヒュンヌ」とフンが似ているのがわかりますか? 「ヒュンヌ」の最後の「ヌ」を軽く発音してみてください。「ヒュン(ヌ)」となりますね。それが、少し発音が変わって、フンと呼ばれるようになったと言うのです。
フンは雪だるま式に勢力を拡大しながら西進したと考えられています。フンという騎馬遊牧民集団の中心に匈奴がいたと言えるかも知れません。
もしそうだとすると、匈奴は中国にもヨーロッパにも、大きな影響を与えたことになります。
<最後に問いを投げかけて>
フンをめぐって考えてきましたが、「古代世界の終末〜中世世界の始まり」を表す二つの出来事を並べてみますので、みなさんもいろいろ考えてみてください。
ユーラシア大陸東部と西部の同時期の出来事です。
494年 北魏の孝文帝、洛陽に遷都
496年 フランク王国のクローヴィス、ローマ=カトリックに改宗
【参考文献】
小松久男編『中央ユーラシア』(世界各国史4、山川出版社、2000)
山田信夫『草原とオアシス』(ビジュアル版世界の歴史10、講談社、1985)