総合 ヨーロッパ 【心臓・魂・ハート形】

★心臓。身体の中で、唯一、拍動する臓器。この特別な臓器は、洋の東西を問わず、感情や魂の座と考えられてきた。たとえば、古代エジプトのミイラづくりでは、他の内臓や脳を取り出しても、心臓は残された。死者の国の神オシリスの前で裁きを受ける時も、天秤にかけられるのは心臓であった。片方には真理の女神マアト(太陽神ラーの娘)の羽根が置かれた。心臓は真理の羽根とつり合うほど軽くなければならなかった。「心が重い」ことは、良くない徴だったのである。

 医学的には、呼吸や血液とともに、心臓は生命活動の中枢と考えられた。ヒポクラテスの後を受け、紀元前4世紀、ギリシアの哲学者アリストテレスは、心臓を熱と血液の源泉、生命の源泉であるとし、そこに霊魂が宿るとした。心臓に、特権的な地位が与えられたのである。この見方はヘレニズム期のアレクサンドリアの医学研究や紀元後2世紀のローマの医学者ガレノスに引き継がれた。

 4世紀前半にローマ帝国の中でキリスト教が公認され、数十年を経て国教となると、心臓は微妙な立場を強いられた。心臓は意思と信仰心の宿る場ではあったが、原罪という思想が肉体を精神の下位においたからである。精神的な愛は、感情に左右されてはならない。もちろん、肉体的な愛に左右されてはならない。400年頃のアウグスティヌスも、そのように考えた。
 ただ不思議なことに、新プラトン主義の影響を受けても、キリスト教の信仰は身体から離れることはなかった。信仰と固く結びついたのは、血液であった。情念に関わる心臓よりも、血が重視されるようになったのである。「罪の贖い」の象徴としての、キリストの聖なる血。教会と信徒は、血を流す傷だらけのキリストを繰り返し描き、礼拝した。葡萄酒はキリストの血、パンはキリストの体とされた。また、聖人たちの流血の殉教場面も、たくさん描かれた。考えてみれば、異様なことである。

 しかし、心臓に対する人間の特別な思いは、12世紀以降二つの方面から、ヨーロッパで甦った。一つは、修道院の神秘体験のなかに表れた心臓である。ある修道士は、キリストの脇腹から心臓に至る傷に、キリストの慈愛を見た。ある修道女は、キリストの心臓と自分の心臓を交換するヴィジョンの中で、キリストとの強烈な一体感を体験した。心臓の交換は、魂の交歓そのものであった。聖心(キリストの聖なる心臓)信仰の始まりである。

 もう一つは、トゥルバドゥール(南フランスの吟遊詩人)の愛の歌に表れた心臓である。それは、少々恐ろしい話であるが、愛する者の心臓を食べるという逸話であった。このモチーフは、ダンテの『新生』(13世紀末)やボッカチオの『デカメロン』(14世紀半ば)へと受け継がれたという。心臓は、中世末期から男女の愛の鼓動を打ち始めたのだった。

 この愛の心臓は、14世紀末から15世紀初頭、とうとうハート形となって描かれた。パリで制作された綴れ織りやフランスの『オテアの書簡』という書物の挿絵には、愛の象徴として、はっきりとハート形が描かれていた。さらに15世紀半ばには、フランス・アンジュー家のルネが著した『愛に囚われし心の書』の挿絵に、赤いハート形が見事に描かれた。(これらの図像は、後掲の小池寿子の著書でご覧いただきたい。)今日氾濫するハート形は、ルネサンスが始まろうとするフランスで、初めて描かれたのだった。

 聖心信仰も、中世で終わったのではなかった。16世紀半ば、宗教改革の嵐の中で、カトリック側が反転攻勢に出た。ロヨラやザビエルらのイエズス会教皇に認可されたのは、1540年であった。そしてまもなくトリエント公会議が始まる。このような動きは、新たな信仰心を燃え立たせた。16世紀後半から、主の心臓への崇敬の念が再び神秘家の心をとらえたのである。そして心臓は、宣教の情熱の象徴ともなった。
 ザビエルも、宣教の情熱に燃えて、アジアにやって来た。「聖フランシスコ・ザビエル像」は、教科書にも載り、たいへんよく知られている。ザビエルの表情にだけ目がいきがちであるが、顔から右下に視線を移すと、やや異様なものが描かれていることに気づく。ザビエルの手にあるのは、他でもない、宣教の情熱に燃える赤い心臓である。そしてそこから十字架が天国に向かって伸びている。吹き出しのように書かれたラテン語は、「満ちたれり、主よ満ちたれり」という意味である。17世紀初めの日本で、当時のヨーロッパのカトリック信仰と図像学に極めて忠実に、ザビエルは描かれたのだった。

 16世紀後半から17世紀は、絶対王政と結びつきながら、カトリックの熱い信仰心が最も燃えさかった時代であった。画家エル・グレコが生きた時代である。聖母マリア信仰も、マリアの無原罪生誕が承認されて、ますます盛んとなっていった。聖母の心臓もまた、熱い共感を持って崇敬された。そのような中で、女性修道会も結成されていった。
 この流れは、フランス革命直後の混乱のさなかに結成された聖心会へとつながることになる。1800年に、マドレーヌ・ソフィ・バラが中心となり、わずか4名で新たな女性修道会が結成された。彼女たちは、貧しい家庭の女の子たちを、無償で教育した。それは、革命中のキリスト教批判の風潮への抗議であったのだろうか? それとも、普通教育の推進という革命の理想の一部が彼女たちをとらえたのだろうか? バラの修道会は、「イエスの聖なる心臓」に捧げられていた。

 トランプ・カードのハートの由来については諸説があるが、想像をたくましくすれば、聖心信仰と愛の心臓が合体したものだったかも知れない。中世末期に登場したトランプ・カードにおいては、もともと、スペードは剣を表し、クラブは棍棒を、ダイヤは富を表していた。それぞれ、騎士、農民、商人の象徴であった。もう一つの身分は聖職者であったが、聖職者は当初、ミサに用いる聖杯で表されていた。キリストの血である葡萄酒を入れる杯である。その聖杯が、15世紀後半から徐々にハートに変わっていったのだった。

 一方、解剖学の知見は、心臓への新たな見方を提出していた。17世紀前半、イングランドのハーヴェイによって、心筋の収縮による血液の循環が証明されたのである。ハーヴェイの『動物の心臓と血液の運動に関する解剖学的研究』の出版は、1628年であった。解剖学の知見は、一般市民にも知られるようになっていた。オランダの画家レンブラントが「トゥルプ博士の解剖講義」を描いたのは、1632年である。
 ハーヴェイにとっては心臓はまだ人体の中心の座を占めていたが、人体の一器官としての心臓という見方への第一歩が印されたと言っていいかも知れない。

 脳科学が発達し、脳死が人の死とされるようになった。心臓はもはや特権的な地位を失ったかに見える。そのような時代に、愛を表すハート形がいっそう私たちの中に浸透しているのは、不思議なことである。

【参考文献』
 樺山紘一『歴史のなかのからだ』(岩波現代文庫
 小池寿子『内臓の発見』(筑摩選書)
 宮下規久朗『モチーフで読む美術史』(ちくま文庫
 村田笙子・仁田三夫『古代エジプト人の世界』(岩波新書