世界史ミニ授業(近代)【ロシアのポーランド支配と少女マリヤ】

★19世紀のロシアの続きです。クリミア戦争の敗北は、「ロシアの遅れ」を改めて突きつけたんだったね。クリミア戦争末期に亡くなったツァーリは、誰だっけ? (生徒たち「ニコライ1世」)そうだね、この名前を絶対忘れないで。そして、次に即位したのが、アレクサンドル2世でした。[板書:アレクサンドル2世]2世だから、注意してね。ナポレオン戦争からウィーン会議の頃のツァーリは、誰だっけ? (数人の生徒「アレクサンドル1世」)そうだね。19世紀前半アレクサンドル1世、ニコライ1世ときて、19世紀後半アレクサンドル2世となるからね。

 で、このアレクサンドル2世は、「解放皇帝」と言われる。懸案だった農奴解放、農奴解放やってないのはもうロシアだけだったんだよね、これをようやく実施したツァーリなんだ。[板書:(解放皇帝)…農奴解放令(1861)]遅れたとは言え、ロシアの歴史では画期的なことだった。ただ、歴史って難しいね、農民は土地を持てなかった。お金を出さないと土地を手に入れられなかったんだ。フランス革命の最初の段階と同じだね。そして、もう一つロシア特有のしくみがあった。もしお金を借りて土地を手に入れても、その手続きは農村共同体(ミールって言うんだ)を通じてしかできなかった。[板書:強固な農村共同体(ミール)]

 この農奴解放政策に刺激を受けた国があった。今まで、コシューシコ以来、何度も独立を目指して戦ってきて挫折した国、どこだっけ? コシューシコ以来、だよ。(数人の生徒「ポーランド」)そうだね! 今まで何回も言ってきたけど、イギリスとかフランスとかだけでヨーロッパを考えては、ダメだからね。特にポーランドは、ヤゲウォ朝やコペルニクスの時から、強調して言ってきたよ。…ちょっと確認しておくか。ポーランド人を民族で言う時は? あと、信じてる宗教は? 次の4つから選んで。[以下を、板書」

 ①西スラヴ人ルター派
 ②西スラヴ人カトリック
 ③東スラヴ人ギリシア正教
 ④東スラヴ人カトリック

 はい、ちょっとだけ考えて。…じゃ、どれかに手を挙げてね。いい? ①番だと思う人。[と、順番にきいていく。]はい、正解は②番です。これは、ポーランドの歴史を考える上ですごく重要だからね。なお、③番の典型がロシア人ね。ポーランドとロシアは、文化が違ったんだ。これ、すごく重要。現代史まで関わってくるから。

 このポーランドは、ウィーン会議で王国になったんだけど、王様はロシア皇帝だったんだよね。ポーランド人の蜂起は、1830年にも失敗した。この時、祖国を思って「革命」っていう曲を作曲したのは誰だっけ? (生徒たち「ショパン」)そうだね、ショパンは覚えたね。1846年にも失敗した。そして、ロシアの農奴解放の直後、1863年にまた立ち上がった。1月蜂起って呼ばれてる。[板書:ポーランドの1月蜂起(1863)]蜂起は1年以上続いたんだけど、やっぱりロシア軍に鎮圧された。全く、辛いね。リーダーたちは処刑された。はっきりわかってないらしいけど、万の単位で、たくさんの人たちがシベリア流刑になった。

 そして、アレクサンドル2世は、ポーランド支配をさらに強化した。ロシアでは、一応「解放皇帝」なんだけどね。教会、カトリック教会だね、教会の領地と財産は没収された。そして、全国の行政機関でロシア語使用になった。学校の授業も、すべてロシア語になった。「ポーランド語を使ってはダメ」っていうことだよ。前、ラテンアメリカのところでも言ったけど、支配者は自分たちの言語を強制しようとするんだ。[板書:→アレクサンドル2世のポーランド支配強化(ロシア語強制)]

 ポーランドがこういう状態になって10年余り経った時、1870年代の後半なんだけど、子どもたちも辛い思いをしていた。だって、ふだん話してるポーランド語、学校の授業では使用禁止なんだよ。ロシア語で授業を受けて、ロシア語で答えなきゃなんない。はい、ここで、ある少女のエピソードを紹介します。[板書:ポーランドのある少女の体験]この少女が大人になってからのことは、みんな知ってると思うよ。多分、全員が名前聞いたことあると思うよ。少女の名は…。[板書:マリヤ・スクウォドフスカ」(生徒たち、「知らない」という表情。)ワルシャワで生まれ育った。

 マリヤが10歳の時、視学官という人が学校に来て、ロシアの言うとおり授業が行われているかどうか視察に来たんだね、ロシア人が。マリヤは成績も良くてロシア語も上手に話せたんだろうね、先生に指名されて、代表で視学官の質問に答えることになってしまった。マリヤは、ドキドキしながら冷静になろうと努めた。視学官はロシア語で言った。「お祈りの言葉をいってごらん。」要求されたのは、ロシア正教のお祈りの言葉でしょう、きっと。これ、辛いね。ポーランドの人はカトリックなんだから。でも、マリヤは、ロシア語ですらすら答えた。「わが神聖なるロシアを統治された歴代皇帝の名を言ってみなさい。」マリヤは、これも、すらすら答えた。でも、心の中では、ポーランド人としての屈辱感が溢れてきてたんだね。「われわれを統治したもう方は?」マリヤは、一瞬躊躇した。教室に緊張が走った。「全ロシアの皇帝アレクサンドル2世陛下です。」視学官は、満足して立ち去った。マリヤは、わっと泣き出した。10歳で、自分の本心と違うことを、ロシア語で話さなきゃなんないって、どれだけたいへんだったか…。

 マリヤ・スクウォドフスカ、初めて聞いたと思うんだけど、この少女はやがてパリに留学して科学者になった。そして、ピエール・キュリーと結婚した。もう、わかったね。(生徒たち、頷いている。)普通キュリー夫人て言われてるね。19世紀末に、ラジウムポロニウムという放射性物質を発見した。[板書:→のちの、科学者マリー・キュリー(19世紀末、放射性物質発見)]キュリー夫人なんていう古い言い方、やめておくよ。マリー・キュリーは、ポーランド出身だったんだよ。ポーランド語だと、マリヤね。マリーは、フランスに行っても、10歳の時の屈辱は忘れられなかった。ポーランドを愛していたから、ポーランドにちなんでポロニウムって名づけたんだね。

 今日は、19世紀後半のロシアとポーランドについて話しました。次は、ロシアの更なる困難についてです。

※マリヤの体験の部分は、高木仁三郎マリー・キュリーが考えたこと』(岩波ジュニア新書、現在絶版)による。

→ 授業観については 【授業を考える(ミニ授業の公開にあたって)】