2012-01-01から1年間の記事一覧
★18世紀を中心として、ヨーロッパは啓蒙の時代を迎えた。知識を拡大して無知蒙昧な状態をなくし、不合理を正そうとする考え方の広がりである。日本語で啓蒙と訳されている語は、英語でもフランス語でもドイツ語でも、「光」や「照らすこと」を意味していた。…
★「アメリカ独立宣言」は、1776年7月4日に発表された。アメリカの独立の年を1776年とするのが、通常の考え方である。しかし、パリ条約締結の1783年が正式の独立だとする考え方も、「アメリカ合衆国憲法」制定の1787年とする考え方も成り立つ。場合によって…
★長崎暢子の『インド大反乱 一八五七年』は、印象的な叙述から始まっていた。 『五月十日の昼下がり、、メーラト基地に駐屯する一人のインド人兵士がソフィーという馴染みの娼婦におそるべきニュースをささやいた。 「今日、俺たちは反乱するぞ」』 インド大…
■ユグノー戦争(1562〜98)と呼ばれる宗教戦争・内戦は、なぜ起こったのだろうか。背景を、三つ考えたい。 一つ目は、主権国家形成期だったことである。この内戦はイタリア戦争終結(1559)直後に始まった。イタリア戦争から、ヨーロッパは主権国家形成期に…
■オスマン帝国の第2次ウィーン包囲(1683)の後、ウィーンに最初のカフェができた。オスマン帝国軍の置き去りにした大量のコーヒー豆を元手に、あるセルビア人が開いたという。ウィーンのカフェは、ロンドンのコーヒーハウスやパリのカフェと並んで、ヨーロ…
★言葉と記憶は、人間という存在の関係性の証である。記憶への愛着や記憶の保持への強い欲求がなければ、人間は文字による記録を生み出さなかっただろう。文字による記録は、記憶の保管を意味した。そこから記録の収集へはもう一歩であるが、さらに知の共有へ…
★1206年、テムジンはクリルタイ(大集会)で、モンゴル系・トルコ系遊牧民の君主となり、チンギス・ハン(偉大な王)と称した。モンゴル高原に、一つの強力な政治勢力が現れたのである。「イェヘ・モンゴル・ウルス」(大モンゴル国)である。クリルタイが開…
■ユートピアという語は、日本語の中に定着している。あることを否定する時に使われることもあるが、まだイメージの喚起力を失っていない。もともとは、500年前にトマス・モア(1478〜1535)が造った語で、その著書名ともなった。日本語では「理想国」・「理…
◆日本の高校の「世界史」は、世界の諸地域の「大きな物語」のつなぎ合わせとして成立してきた。これは、大学の研究・教育がヨーロッパ史、アメリカ史、中国史、イスラーム史などに分かれて行われてきたためである。「世界史」という学問分野はなかったし、残…
★アフガニスタンに本拠をおいたガズナ朝・ゴール朝は、10世紀末から北インド侵入を繰り返した。これは、、イスラーム側はジハード(聖戦)と偶像破壊を掲げていたが、おもな目的は金銀財宝の略奪と奴隷獲得であった。ただ、パンジャーブ地方の領有をめぐる争…
■前5世紀のヘロドトスは、「ヒストリエー」という語を使った。これは、「調査・探求」の意味であった。 ■「ヒストリエー」はラテン語に入り、ヒストリア(historia)となった。これが、英語の history の語源である。 ■ history に story という語が含まれ…
■E.H.カーの言うように、歴史を学んだり考えたりすることは、「現在と過去との対話(ダイアローグ)」である。 ■ダイアローグ( dialogue 、対話)という語は、ギリシア語のディア・ロゴス( dia logos )から来ている。「ロゴス(真理・論理・理性)を…
■倭で漢字・漢文の本格的な学習が始まったのは、太刀銘や銅鏡銘から、5世紀と考えられている。『古事記』と『日本書紀』によれば、朝鮮半島の百済(中国の東晋、南朝・宋と関係が密であった)から『論語』と『千字文』が伝えられ、漢字・漢文を教えるため学…
★江戸前期の日本で「華夷変態」と呼ばれたように、明から清への王朝交代によって再び「夷狄」の王朝が中国を支配することになった。これは、「華夷の別」を主張してきた儒学(特に主流の朱子学)にとっては、容易ならざる事態であった。明末清初の転換期を生…
★ネーデルラントのアントウェルペンを訪れていたデューラーは、ルターが暗殺されたらしいという知らせを聞いた。1521年5月のことである。彼は、日記に「おお神よ、もしルターが死ねば、これから誰が聖なる福音をかくも明瞭に説いてくれるのか」と書いた。た…
★セーレン・キルケゴール(1813〜55、デンマーク)は、日本では1960年代を中心に読まれたが、今では「哲学史博物館」の実存哲学の部屋に展示されている。キリスト教的実存主義と分類され、20世紀のヤスパース、ハイデガー、サルトルの先駆者として、コーナー…
啓蒙思想において光で表されてきた理性は、フランス革命(1789〜99)では擬人化された。革命の祭りの中では、人形や絵によってではなく、生きた女性によって表現された。 フランスの詩人ミストラルが晩年に(20世紀初め)語った思い出の中に、リケルというお…
◆スペインとの独立戦争(1568〜1609)を戦いながら、ネーデルラントの北部7州(オランダ、7州のうちのホラントが語源)は急速に発展した。カトリックの中心スペインに対し、北部7州にはカルヴァン派の人々が多かった。1581年の独立宣言で成立したのは、絶…
★1953年(嘉永6年)7月8日、ペリー司令長官率いるアメリカ東インド艦隊4隻が浦賀沖に現れた。うち2隻は、当時最新鋭の蒸気軍艦(マストもあり蒸気走と帆走を兼ねた)であった。アメリカ人フルトンが蒸気船を発明してから(1807)、わずか46年後のことで…
◆スペイン内戦が始まって2ヵ月後の1936年9月、コルドバ戦線で1枚の写真が撮られた。「崩れ落ちる兵士」。(画像がなくて申し訳ありません。)撮ったのは、ロバート・キャパだった。人民戦線政府(共和国)軍の兵士がフランコ軍に撃たれた瞬間の写真は、フ…
◆わずか25歳でこの世を去ったカルティニ(1879〜1904)は、インドネシア民族主義運動・女性解放運動の先駆者と言われる。死後(1911)、オランダで出版された書簡集『光は闇を越えて』はベストセラーとなり、インドネシア語訳は現在も版も重ねている。 カル…
★19世紀、まだ誕生して間もないアメリカ合衆国は、さまざまな問題に直面していたが、特に奴隷制度は大きな問題となっていた。合衆国憲法も黒人奴隷を市民とは見なしていなかった。 「良心的」で「人道的」な人々は、解放奴隷(逃亡奴隷を含む、自由民となっ…
1918年、フランスの思想家ジョルジュ・バタイユは、『ランスのノートルダム大聖堂』と題する小冊子を出版した。バタイユは書いている。 『我々の間には、あまりに多くの苦痛、あまりに多くの暗闇がある。(中略)たしかに神の光は我々すべてのために輝いてい…
★スーダンのムハンマド・アフマドがマフディー(神に正しく導かれた者)を自称したのは1881年であった。「エジプト人のエジプト」を掲げたアラービー運動が起きた年であり、イスラーム暦(ヒジュラ歴)では13世紀末にあたっていた。イスラーム世界では、前世…
■1848年、パリの二月革命は、瞬く間にヨーロッパ中に波及した。ウィーンでもベルリンでも三月革命が起こった。 3月13日、学生・市民・手工業者たちは議事堂に乱入して軍隊と衝突、群衆は王宮を取り囲んだ。14日にはメッテルニヒがロンドンに亡命し、ウィー…
■仏教の成立とその発展(大乗仏教の成立と東アジアへの伝播、上座部仏教のスリランカから東南アジアへの伝播など)については多くのことが述べられるが、インドにおける仏教の消滅についてはあまり触れられない。 グプタ朝期の4世紀以降、ヒンドゥー教の隆…
◆『詩経』と聞くと、仏教のお経の一つと誤解したり、中国の五経の一つと理解しても儒学の堅苦しいイメージでとらえたりする。しかし『詩経』は、豊かな内容を持った中国最古の詩集であり、春秋時代の半ば頃(前600年頃)に編纂されたと考えられている。編纂…
★ハノイのバディン広場に集まった人々を前に、ホー・チ・ミンは、彼自身が起草した「ベトナム民主共和国独立宣言」を読み上げた。1945年9月2日のことであった。 「全国の同胞たちよ」と呼びかけたすぐあと、「アメリカ独立宣言」の一節が引用され、さらに…
★普通クシャーナ朝(1世紀半ば〜3世紀半ば)は、古代インド史で扱われ、カニシカ王の第4回仏典結集と大乗仏教・ガンダーラ美術ぐらいで終わってしまう。シルクロードの要衝で栄えたことが加われば十分、という感じだろうか。しかしクシャーナ朝は、古代イ…
■イエスはアラム語を話したが、『新約聖書』はギリシア語(コイネーと呼ばれる、ヘレニズム期にオリエントまで広まったギリシア語)で書かれた。この背景には、パレスチナ地方の複雑な言語状況があった。 当時のパレスチナ地方は、次のような多言語状況にあ…