中世

♥世界史ブックガイド[文化と社会]⑪【金沢百枝『ロマネスク美術革命』】

最新のロマネスク美術概説書です。巧みな構成で(たとえば「はじめに」から第一章にかけては導入部として見事です)、読者をロマネスク美術へと誘ってくれます。内容は高度ですが、叙述は難解ではありません。図版は豊富です。 全体の構成は次の通りです。 …

中世 西アジア・ヨーロッパ 【オスマン朝の勃興とバルカン支配】

★アナトリア北西部に誕生したトルコ系オスマン朝は、すでに14世紀にはバルカン半島(南東ヨーロッパ)を支配するにいたった。これは大きく見れば、ウマイヤ朝のイベリア半島進出(8世紀)のような、イスラーム勢力の西進であったが、何がオスマン朝のバルカ…

中世 ヨーロッパ 【魅惑のノルマン・シチリア王国】

★シチリアは、地中海の中央に位置し、古代から文明の十字路だった。フェニキア人、ギリシア人、ローマ人、アラブ人などが、入れ替わり立ち替わり島にやって来た。シチリアの多文化性が最も花開いたのは、12世紀のノルマン・シチリア王国においてであった。(…

中世 南アジア 【イスラーム政権の北インド支配とスーフィズム】

★アフガニスタンに本拠をおいたガズナ朝・ゴール朝は、10世紀末から北インド侵入を繰り返した。これは、、イスラーム側はジハード(聖戦)と偶像破壊を掲げていたが、おもな目的は金銀財宝の略奪と奴隷獲得であった。ただ、パンジャーブ地方の領有をめぐる争…

中世 南アジア 【仏教がインドで消滅したのは】

■仏教の成立とその発展(大乗仏教の成立と東アジアへの伝播、上座部仏教のスリランカから東南アジアへの伝播など)については多くのことが述べられるが、インドにおける仏教の消滅についてはあまり触れられない。 グプタ朝期の4世紀以降、ヒンドゥー教の隆…

中世 イスラーム世界・ヨーロッパ 【12世紀・イベリアの光の中で】

■1168年頃イブン・ルシュド(1126〜98)は、コルドバで、師のイブン・トゥファイルとともに、ムワッヒド朝のスルタンに謁見していた。彼は回想している。 『王は「天についての彼ら哲学者の考えはどのようなものか。天は永遠か、あるいは創造されたものか」…

中世 ヨーロッパ 【激しい政争の後、ダンテは】

■現代では、孔子の「四十にして惑わず」よりも、ダンテ『神曲』冒頭の次の文章の方が、共感を持って受けとめられるにちがいない。 「ひとの世の旅路のなかば、ふと気がつくと、私はますぐな道を見失い、暗い森に迷いこんでいた。」(寿岳文章訳、以下同じ) …

中世 ビザンツ帝国 【聖像破壊運動が吹き荒れた】

■イスラームのウマイヤ朝軍を退けたばかりの皇帝レオン3世は、726年自らの信条を表明した。キリストやマリアを描きそれを拝むことは、聖書に禁じられた偶像崇拝であると、主張したのである。730年には、正式に聖像破壊の勅令が出された。イスラームの偶像崇…

中世 中央アジア・西アジア 【ティムールが、シリアで出会ったのは】

■14世紀末から15世紀初めにかけて、中央アジアのサマルカンドを都とするティムール帝国は、驚くべき勢いで支配地域を拡大した。その領域は、東はトルキスタン東部・インド北西部から、西はイラン・メソポタミア・小アジア東部にまで及んだ。トルコ語を話すモ…

中世 西アジア 【イスラーム教の誕生】

★ユダヤ教やキリスト教がすでに歴史を刻んでいた中で、イスラーム教が誕生する必然性は、どこにあったのか? ムハンマドはマッカ(メッカ)の商人であった。マッカやマディーナ(メディナ)を含むヒジャーズ地方は、6世紀から交易ルートとして活況を呈する…

中世 東アフリカ 【スワヒリ世界ができた】

■現在タンザニアやケニアではスワヒリ語が公用語となっている。スワヒリ語は、現地のバントゥー語とアラビア語が混じり合ってできた。アラビア語がどうして東アフリカに伝わったのか? 7・8世紀以降のイスラーム世界の急速な拡大は、交易活動の活発化や人…

中世 東アジア 【北魏・孝文帝の漢化政策】

■農耕民ではない民族が、華北の農耕地帯に侵入するだけでなく、これを支配するようになった時、どのように農耕民(漢人)を統治すればいいのか。騎馬遊牧民の鮮卑が建てた北魏の100年近い華北支配(439〜534)は、その最初の本格的試みであった。 北魏は孝文…

中世 ヨーロッパ 【ノルマン・コンクェストと「イギリス史」】

◆ノルマン・コンクェスト(1066)とは、ノルマンディー公ギヨーム(フランス語名)がイングランドを軍事的に征服した出来事である。ギヨームは、イングランドでは、ウィリアム1世としてノルマン朝(〜1154)を創始した。ただ、ノルマンとフランスとイングラン…

中世 ヨーロッパ 【バイリンガルだったカール大帝】

◆カール大帝は、フランク王国最盛期の王で、いわゆる「カールの戴冠」(800.12.25)で有名である。カール大帝はドイツ語に基づく言い方で、日本ではこの呼称が一般化した。フランス語形のシャルルマーニュも使われるが、これはラテン語のカルロス=マグヌス…