中世 ヨーロッパ 【ノルマン・コンクェストと「イギリス史」】

◆ノルマン・コンクェスト(1066)とは、ノルマンディー公ギヨーム(フランス語名)がイングランドを軍事的に征服した出来事である。ギヨームは、イングランドでは、ウィリアム1世としてノルマン朝(〜1154)を創始した。ただ、ノルマンとフランスとイングランドの関わりは、現在の国民国家の枠組みからは理解しにくい。

 10世紀初めにロロを首長としたノルマン人たちがセーヌ河口地域に侵入・定住して(ここからノルマンディー=ノルマン人の地と呼ばれることになった)から、すでに1世紀半が過ぎていた。11世紀初めから首長は公を名のり、ノルマンディー公国フランス王国の中の領邦)となっていた。ノルマン人はフランス化していたのである。

 教科書では「イギリス史」の観点で叙述されるため、ノルマンディー公ウィリアムという名で記されている。しかし、ギヨームというフランス語名を明示しないと、ノルマン・コンクェストという出来事を正しく理解できないだろう。また「イギリス史」の枠組みからは、フランスのノルマンディーからイングランドまでの国家の成立という視点が得にくい。へイスティングズの戦いを描いた有名なタペストリも、征服した側のノルマンディーの町バイユーにあるのである。ノルマン・コンクェストとは、<フランスのノルマンディー+イングランド>という、海をまたいだ複合国家の成立であった。

 <フランスのノルマンディー+イングランド>という複合国家の事実の上に立って初めて、イングランドへの封建制導入も理解される。ノルマン朝の支配権確立のための導入であった。ウィリアム1世は、臣下に保護と土地を与え、引き替えに彼らに軍役奉仕を義務づけた。そして全国的な検地を実施し、1086年には全イングランドの領主を集め国王への忠誠を誓わせた。「ソールズベリーの誓い」と言われ、大陸側の分権的封建制とは異なる、イングランド固有の封建制が成立したのである。

 この複合国家は、次のプランタジネット朝(1154〜1399)でも続いた。フランスのアンジュー伯アンリが、イングランドのヘンリ2世として即位したからである。ここに出現したのは、<フランス側のアンジュー家領+イングランド>という複合国家であった(ノルマンディーもアンジュー家領となった)。フランス・イングランド間のこのような歴史は、百年戦争(1339〜1453)の原因ともなった。また、百年戦争こそが、フランス・イングランドにまたがる複合国家を消滅させたのだった。

 ノルマン・コンクェストは、文化的にも重大な影響をもたらした。支配層の言語であるフランス語(ノルマン・フレンチ=フランス語のノルマン方言)が、英語(中英語)の中に入ったのである。フランス語の大量流入は、次のプランタジネット朝の初期まで続く。プランタジネット朝初期に流入したフランス語は、パリのフランス語(セントラル・フレンチ)であった。 beef , royal , chapter , route , money など、フランス語から英語に入った語の数は非常に多い(1万とも言われる)。

 イングランドにおける英語の復権は、ジョン王がフランス側の領土の大半を失った時代(13世紀初め、ノルマンディーもフランス王フィリップ2世に奪われた)から始まり、百年戦争期に明確になる。1399年に即位したランカスター朝のヘンリ4世は、ノルマン・コンクェスト以降で初めての、英語を母語とする王であった。ウィクリフの聖書英訳やチョーサーの『カンタベリ物語』執筆(いずれも14世紀末)も、このような時代の中で行われたのである。

 なお英語には、文化的複合性がよく表れている。英語は、ゲルマン系のアングロ=サクソン語を基盤としながらも、ラテン語ギリシア語・ケルト語・ノルマン語・フランス語などの語彙を数多く受け入れた複合語である。

 ノルマン・コンクェストの理解にも関連するが、「イギリス史」という枠組み自体が問題とされるようになっている。「イギリス」という日本語がイングランドを語源としていることもあり、長年イングランド中心の「イギリス史」になってきた。このため、高校教科書でも、ジョン王の時代もエリザベス1世の時代も名誉革命ヴィクトリア女王の時代も、すべて「イギリス」の歴史として叙述されてきた。(残念ながら、新課程版でも変わらない。)これはたいへん大きな問題であり、日本人の「イギリス」観に歪みをもたらしてきたと言える。このため、上記の、英語の複合性もなかなか理解されない状況がある。

 近年は、ヨーロッパ大陸との関連だけでなく、イングランドウェールズスコットランドアイルランドの相互関係の中で、「イギリス史」が再考されるようになってきた。「ブリテン諸島の歴史」という見方である。今後は、「イギリス史」に代わり「ブリテン諸島史」という語が使用されることも多くなっていくだろう。その方が、「UK」や「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」という名称の理解も深まるに違いない。

※「ノルマンディー公ギヨーム」という表記の高校教科書が、ようやく現れた。山川出版社の新課程用教科書「新世界史B」(世B306)である。この教科書では、1707年のグレートブリテン王国の成立前まで、一貫してイングランドという語を使用している。これが、教科書としての正しいあり方である。[2013年7月、追記]

※最も新しいイギリス史概説書である近藤和彦著『イギリス史10講』(岩波新書)も、当然のことながらギヨームと書いている。[2014年1月、追記]

《参考文献》
 大橋里見「ウィリアム1世」「ヘンリー2世」(小池滋ほか編『イギリス史重要人物101』[新書館]所収)
 寺澤盾『英語の歴史』(中公新書
 小島義郎 他 編『英語語義語源辞典』(三省堂
 岩井淳編著『複合国家イギリスの宗教と社会』(ミネルヴァ書房
 J.オーマイヤー「近代初期アイルランド史研究の現在の方向と将来の課題」(「思想」2012年11号[岩波書店])
 勝田俊輔「ブリテン諸島史再考」(「世界史の研究」233号[山川出版社」)

→ 授業例は 世界史ミニ授業【ノルマン・コンクェスト(その1)】 、世界史ミニ授業【ノルマン・コンクェスト(その2)】