総合 地中海世界・ヨーロッパ 【キリストは神か人か、そして聖母マリアは】

■エフェソスは、エーゲ海東岸のギリシア人(イオニア人)の都市で、前11世紀頃からアルテミス神殿を中心に発展した。神殿の規模は、アテネパルテノン神殿をしのぐものだったという。アルテミスは、通常ギリシア神話では狩猟と月の女神とされるが、もともとは豊穣と多産の女神(母なる大地の女神)であった。

 このエフェソスで、431年、カトリック教会の公会議が開催された。この公会議の決定としてネストリウス派を異端としたことが、教科書では記述される。しかし、これに関連して、もう一つ重大な決定があった。聖母マリアを「神の母」として信仰(カトリック教会では、神・キリストへの信仰と区別し、正式には「崇敬」という語を使う)することを決めたのである。

 問題は、すでに1世紀前のニケーア公会議(325年、コンスタンティヌス帝によるキリスト教公認から12年後のことである)の決定に胚胎していた。「キリストは神か人か」をめぐって、アタナシウス派アリウス派が激しい対立を続けていたが、ニケーア公会議では、アタナシウス派の考えが正統とされ、アリウス派の考え方は異端とされた。両者の考え方を整理すると、次のようになる。

 ①アタナシウス派:霊的存在である神とキリストは一体であり、父なる神と子キリストは本質的に同一である。キリストは真の神性を持つ。
 ②アリウス派:キリストは、父なる神によって生み出された人間であり、神聖ではあっても、父と同等の神性は持たない。

 公会議の3年後、コンスタンティヌス帝がアリウス派支持に転換したため、教義論争は紛糾した。その後、テオドシウス帝が召集したコンスタンティノープル公会議(381年)において、アタナシウス派の正統性は確認され、①は三位一体論として定式化されることになる。しかし、問題は残された。聖霊によりみごもった人間マリアが、キリストの母つまり「神の母」となったことをどう理解すべきかという難問である。

 ここから、今度はネストリウス派の主張が出てくることとなった。ネストリウスは、三位一体論と<マリア=「神の母」>説に大きな疑問を抱いた。ネストリウス派の主張は、次の通りである。

 ③ネストリウス派:キリストは神であるが、もともとは人間である。人間キリストが神となったのであり、決してその逆ではない。したがって、聖母マリアはあくまで人間キリストの母であり、「神の母」ではない。

 <マリア=「神の母」>説をとるグループとの間に激しい論争が続いたが、エフェソス公会議聖母マリアを「神の母」として信仰することが決められた。(最終的には、451年のカルケドン公会議で決着した。)その背景には民衆の広範なマリア信仰があり、それを教会は無視することができなかったのである。

 すでにこの時期、聖母マリア信仰は民衆に根を下ろしていた。聖母マリアがエフェソスに移り住んで晩年を過ごしたという伝説さえ存在していた。1000年以上豊穣の女神アルテミスを祭ってきたエフェソスで聖母マリア信仰が決定されたことは、象徴的な意味を持っていた。地中海世界の民衆は、聖母マリアを、豊穣の女神としての性格を併せ持つ存在として信仰していたのである。

 キリスト教は、母なる大地の女神への信仰を、聖母マリア信仰に吸収しなければならなかった。聖母マリア信仰は、中世を通じ(特に12世紀頃から)、ヨーロッパでも強固な信仰となっていった。それは、ヨーロッパの「穂麦のマリア」という図像に、典型的に表れている。聖母マリアのドレスにはたくさんの麦の穂が描かれていたが、それは豊穣を願う図像であった。豊穣の女神としての聖母マリアに、中世の人々は祈りをささげていた。

 現在、カトリックのマリア論は、次のようにまとめられている。

 ④処女マリアは、聖霊によって罪なくして神の子をみごもり、神の母となった(無原罪の御みごもり)。マリアは生涯罪を知らず、すべての人の母であり、教会そのものでもある。またマリアは、地上の生を終えたのち、神の恩寵によって不死性を得て、天に上げられた(被昇天)。

 カトリック教会の信仰は、①と④によって基礎づけられている。(プロテスタント諸派聖母マリア信仰には否定的であり、宗教改革期には聖母マリア像の破壊も起きた。東方正教会でも聖母信仰は根強いが、教義上は「無原罪の御みごもり」や「被昇天」は認められていない。)①と④の組み合わせは、かなり秘儀的なものにも見える。なぜ秘儀的なものを必要としたのだろうか? 父性の中に母性を導入したからである。

 聖母マリアをめぐる問題は、キリスト教における父性と母性の問題でもあった。カトリック教会は、「父なる神」というヘブライ的な父性原理に、聖母マリア信仰を通して、大地の女神につながる母性原理を導入し、父性原理の下で両者の調和を図ろうとしたとも言えるのである。現在はあまり目にすることはないが、さまざまに描かれた「授乳の聖母」こそ、豊穣と母性の象徴であった。しかも聖母マリアは、処女性をも兼ね備えるという究極の存在だったのである。

 聖母マリア信仰に含まれる母性原理の存在がなければ、ラテンアメリカにおけるカトリックの受容と広がりも(メキシコの「グアダルーペの聖母」に象徴される)、日本における隠れキリシタンの歴史も(礼拝されたのは「マリア観音」である)、なかったのではないだろうか。

《参考文献》
 久米博『キリスト教 その思想と歴史』(新曜社
 山形孝夫『聖母マリア崇拝の謎』(河出書房新社
 谷泰「キリスト教とヨーロッパ精神」(井上幸治編『民族の世界史8・ヨーロッパ文明の原型』[山川出版社]所収)
 植田重雄『聖母マリヤ』(岩波新書
 水野千依『「ラファエロの聖母子」が生まれるまで』(「美術手帖」2013年5月号[美術出版社]所収)

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※世界史教科書における聖母マリアの取扱いについては、【聖母マリア信仰】