総合 ヨーロッパ・アメリカ 【「アメイジング・グレイス」が生まれた】

★たくさんの人々に歌い継がれてきた「アメイジング・グレイス(すばらしい、神の恵み)」。辛い歴史が、この歌を生んだ。

 作詞者のジョン・ニュートンは、イギリス国教会の牧師であった。1770年代、まだ牧師としての修行を積んでいる時、屋根裏の小さな一室で「アメイジング・グレイス」の詞を書いた。ジョン・ニュートンにこの詩を書かせたのは、彼の前半生であった。若い頃の彼は、荒れた生活を送っていた。女たちと遊び、恐れるものは何もないという気持ちで暮らしていたという。やがて大西洋をまたにかけた奴隷貿易に従事し、奴隷船の船長までつとめるようになった。しかし、嵐に遭い命の危険を感じた時から、神の存在を信じるようになった。改悛の気持ちは、歌詞に表れている。

 「神の恵みは、私のような卑劣な者を救ってくれた。」

英語では、次のように続いている。

  I once was lost but now I'm founnd, was blind but now I see.

 優しく美しいメロディーの作曲者は明らかでない。北アメリカ南部の黒人奴隷たちの間で歌われていたメロディーだったと言われている。歌詞もメロディーも、奴隷制度に関わってできた歌。近代という時代の最も悲惨な出来事の中から、「アメイジング・グレイス」は生まれたのだった。

 「啓蒙の世紀」と言われる18世紀は、大西洋奴隷貿易の最盛期でもあった。特にイギリスは、スペイン継承戦争の講和交渉の中でスペイン植民地への奴隷供給独占権を獲得し(1713)、莫大な利益を得ていたのである。奴隷商人の拠点は、リヴァプールブリストルの港であった。リヴァプールを出港した奴隷船は延べ5300隻を越え、イギリスで最も多かった。奴隷貿易で富を蓄積したリヴァプールはまもなく、綿工業都市として勃興したマンチェスターとつながり、産業革命でも繁栄することになる。

 クウェイカーの人々やクラークソン、ウィルバーフォースなどの運動により、イギリスで奴隷貿易が廃止されたのは、1807年であった。イギリス植民地における奴隷制の廃止までにはさらに26年を要したが、フランスやアメリカに先駆けた廃止だった。

 1999年、リヴァプール市は、勇気ある決断をした。大西洋奴隷貿易でこの町が果たした役割について、正式に謝罪したのである。また2007年には、市の海事博物館の中に、「国際奴隷制度博物館」をオープンさせた。リヴァプールは、真摯に自らの過去と向き合い、未来に向けて歩み出している。

 奴隷貿易の中から生まれた「アメイジング・グレイス」。過酷な歴史を生きた人々の思いが紡ぎ出した歌。その深い優しさは、今も、人々の苦しみを癒やし、人々を励まし続けている。

《参考文献》
 井野瀬久美恵大英帝国という経験』(興亡の世界史16、講談社

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