古代 初期キリスト教 【アタナシウス派などの主張をどう教えるか】
◆初期キリスト教史は、必ずしも教えやすくないと思います。特に、次の2点をわかりやすく(しかし本質からそれずに)教えるのは、なかなか大変です。
①『新約聖書』は、なぜギリシア語(コイネー)で書かれたのか。
[言い換えれば、ヘレニズムで取り上げるコイネーがなぜキリスト教で出てくるのか。ローマ時代なのに、なぜラテン語ではなかったのか。]
②アタナシウス派、アリウス派、ネストリウス派の根本的な違いは何なのか。
◆①は非常に重要なテーマです。イエスがアラム語を話していたことを付け加えると、何が何だかわからなくなるかも知れませんが。ここでは取り上げませんので、次のページを参照していただければと思います。
➡【イエスのことば・聖書の言語】、
【ギリシア語で書かれた『新約聖書』】
◆②については、各教科書(世界史B)の記述に微妙な違いがありますので、簡単に指摘しておきます。記述に問題があるのは、東書と山川です。
◇東書では、「神としてのイエスを認めるアタナシウスの説」、「人間としてのイエスを唱えるアリウス派」、「神たるイエスと人たるイエスを分離するネストリウス派」と記されています。イエスと記しているのは東書だけですが、これは厳密に言えば誤りで、キリストと記すべきです。この論争では、あくまで救世主(キリスト)としてのイエスが問題になっているからです。
※現在では、単に「イエス」と書く場合は、「信仰上のイエス=キリスト」と区別された「歴史上のイエス」を指します。
◇山川(詳説)には、「キリストを神と同一視するアタナシウス派」という記述があります。この記述ですと、本来別のものを同一とみなすという意味になります。しかし、「キリストと神は本来同一」というのがアタナシウスの説です。
★②を授業ではどう取り上げるべきでしょうか。まず、次のことを生徒たちに伝えるべきでしょう。
○初期のキリスト教において、「キリストを神と考えるか人間と考えるか」という大論争が起きた。これは、キリスト教の根幹に関わる問題だったので、教会として統一見解を示す必要があった。
★私の授業では、3つの派の考え方のポイントを、次のように簡潔に提示しています。
・アタナシウス派:「キリストは神だ!」
・アリウス派:「キリストは人間だ!」
・ネストリウス派:「人間キリストが神となったのだ!」
★アタナシウスの考え方は、まもなく「聖霊」を加えて三位一体説となりました。その際、「処女マリアが聖霊によって受胎したという信仰」について話せば、生徒たちも多少は理解しやすくなると思います。(かえって混乱するでしょうか? ただ、あとで「受胎告知」の絵画などを紹介する際は、必要な知識になります。)
★三位一体説のアタナシウス派がカトリック[教会]であること(正しく言えば、そう名のるようになったこと)は、確認しておいたほうがよいと思います。「クローヴィスの改宗」や中世ヨーロッパが理解しやすくなるからです。なお、ギリシア正教会もプロテスタントの多くも三位一体説です。
★ネストリウス派を異端としたエフェソス公会議では、聖母マリア信仰が承認されました。このことも重要な意義を持ちますが、そこまで触れるかどうかは授業者の判断になると思います。
➡以上について、詳しくは次のページをご覧ください。 【キリストは神か人か、そして聖母マリアは】
★なお、近現代でも、少数ではありますが、三位一体説を否定するキリスト教徒がいます。いわば近現代のアリウス派で、ヨーロッパやアメリカに30万人ほどいるそうです(ユニテリアンとかユニヴァーサリストと呼ばれています)。授業で触れるかどうかは難しいところですが、ニュートン、ナイティンゲール、ダーウィン、フランクリン、ジェファソンなどは、そういう考え方の人たちでした。