総合 【「イギリスのEU離脱」で思うこと】

◆昨日のイギリス国民投票の結果は、世界中に大きな衝撃を与えました。世界史の教員も、もう一度イギリスやEUについて再考しながら、授業を構成していかなければならないでしょう。

◆イギリスやEUの専門家でもない私が今日の段階で言えることは限られています。ただ、世界史の授業においてイギリスをどういう視座から取り上げるか、もう一度確認しなければ、と思いました。重要なのは、「イギリス(ブリテン諸島)の複合性」の認識です。それは、イギリスが4地方から成る連合王国だということの確認にはとどまりません。

◆今回の結果を見ると、「ブリテン・ファースト」という語は単に極右の人々の合言葉ではなく、意外と人々に浸透していたのではないかと思いました。特に、ロンドン以外のイングランドの人々に。しかし一方、結果判明と同時に、スコットランドからは‘ Goodbye UK ’というツイートも流されました。イギリスの人々は、自身に大きな問いを投げかけているのです。「UKとは何なのか?」と。「グレート・ブリテンとは何なのか?」と。多分、根底には、「ブリティッシュであることやスコティッシュであることと、ヨーロピアンであること」との関係への問いがあるのだと思います。

◆私は、近藤和彦氏の次の見方を、「イギリス史」の授業のベースにしています。

 「イギリス史はけっしてブリテン諸島だけで完結することなく、広い世界との関係において展開する。農耕・牧畜民やローマやヴァイキングをはじめとして、海の向こうからくる力強く新しい要素と、これを迎える諸島人の抵抗と受容、そして文化変容。これこそ先史時代から現代まで、何度となくくりかえすパターンであった。」【近藤和彦『イギリス史10講』(岩波新書、2013)】

◆EU離脱派の人々は、現在の生活への不満でいっぱいになり、イギリス史のこのような基調を忘れてしまったのかも知れません。「移民の制限」と「主権の回復」という言葉が、過去の栄光= British Empire大英帝国)とともに、人々の心をとらえたのでしょう。多分、訪れる経済的苦境や今後2年間の(あるいはそれ以上の)離脱交渉の厳しさを見て、離脱派の人々は、イギリスがおかれている歴史的な位置を再認識せざるをえなくなるでしょう。まして、UKが解体したりしたら、イギリスの没落はより決定的なものとなるでしょう。

◆西ヨーロッパ世界の成立については、次のような一般的な見方があります。

 「(カールの戴冠により)ローマ以来の古典古代文化・キリスト教ゲルマン人が融合した西ヨーロッパ中世世界が、ここに誕生した。」【『詳説世界史B』(山川出版社)】

 もちろん、フランク王国ブリテン島は含まれていません。しかし、この三者の融合という点から見ると、イギリスもまた典型的な西ヨーロッパであると言えるでしょう。ブリテン島の南部はローマ支配下に入りましたし、フランク王国ブリテン島がキリスト教化した(ラテン・キリスト教世界に入った)のは、ともに中世の早い時期でした。カール大帝イングランドからアルクインを招いたことを想起してもいいかも知れません。イギリスをヨーロッパから分離することは困難なのです。

◆ここではイギリス史を細かくは振り返りませんが、上記の三者の融合は言語に端的に表れています。英語の語彙は、以下のようなたくさんの言語の語彙から成り立っています。

 ゲルマン語、ノルマン語、ケルト語、フランス語、ラテン語ギリシア

 この複合性こそが、イギリスなのだと思います。イギリス人は、歴史的・文化的にヨーロッパ人にほかなりません。この複合性が忘れられる時、西ローマ帝国が滅んでラテン語が西・中央ヨーロッパに広まったという歴史が繰り返されるかもしれません。イギリスが没落して英語は世界に広まるというような事態が、起こらないとは限らないのです。

◆今回のEU離脱という選択は、イギリスの複合性が新たな段階を迎えていることへの激しい反応だったのではないでしょうか。旧植民地、東ヨーロッパ、イスラーム圏からの人々をイギリスの中にどう迎え入れるのか、それがイギリスの課題になっています。そして、それは、EUがぶつかっている課題なのです。また格差の拡大は、先進国・新興国共通の課題にほかなりません。

◆イギリス人が自身に投げかけた問いは、しばらく続くでしょう。イギリス国内で揺り戻しが起こる可能性もないとは言えません。EUとの距離の取り方にはさまざまなヴァリエーションがあるでしょうが、同じ課題にヨーロッパの一員として向かっていく以外に、イギリスの道はないと思います。