先史・古代 <人類の心の進化> 【花の栽培・花のデザイン】 

 単純な事実ですが、私たちは、大人になっても、「マル」よりは「花マル」を好みます。それは、なぜなのでしょう? 人類はなぜ花を好むようになったのでしょうか?

 ネアンデルタール人は死者を埋葬して花を手向けたとも言われていますが、人類と花との関わりには根源的な何かがあると思います。

 前7000年頃の農耕の開始とは、食用のために「野生植物を栽培植物化すること」にほかなりませんでした。では、野の花を栽培し始まったのはいつなのでしょう? 食料のために植物を栽培するのと観賞のために植物を栽培するのと、どちらが重要だったか、ということにもなります。

 少し前の歴史学であれば、「食料のためが先に決まってる」と考えたことでしょう。唯物史観ではなくても、経済的土台を優先して考える人が多かったからです(今でもそうかも知れませんが)。しかし、芸術というものを生み出した人間のことを考えると(ラスコーの洞穴絵画が描かれたのは2万年前〜1万5千年前です)、あるいはアニミズムのような信仰を考えると、必ずしも「食料が先」とは言えないのではないかと考えています。(*)

 やがて、人間は花をデザインし始めました。よく知られているのがロゼッタ文様です。ロゼッタ文様の起源は前5千年紀のメソポタミアにあるようです。ラスコーの絵画から1万年以上を経て、人類は花のデザインを始めたことになります。

 さらに、ロゼッタ文様は、描くだけでなく、身につけるものにもなっていったのです。前9世紀のアッシリア人は、お守りにロゼッタ文様のブレスレットを身につけていました。また、この文様は東にも広がりました。いろいろな見方があるようですが、仏教の蓮華文や宝相華文もロゼッタ文様と無縁ではありません。

 花と人間との深い関わりは、現代にいたるまで、数々の花のデザインを生んだのでした。

 鶴岡真弓さんは、次のように述べています。

 『こうしたロゼッタは、ほんらい聖なるシンボルであり、人間の切実な祈りや希望を受け止める宗教的な意味をもっていました。それは、「幸運」や「幸福」、「豊饒」や「豊かさ」のしるしだったのです。』(**)
 
 私たちの、「マル」よりも「花マル」を好む心性は、人類の心の深い層から来ているのかも知れません。


(*)柄谷行人さんは、ロビン・ダンバー『人類進化の謎を解き明かす』の書評で、次のように述べています。
 <これまで考古学は、類人猿以来の進化の段階を、いわば「骨と石」に頼ってきた。それでは、認知的側面(心)や社会的側面における進化を見ることができない。>[朝日新聞、2016.8.21]
 まさにその通りだと思います。
 私も、そのような観点から「芸術活動が始まった」という授業を行ってきました。今回は「花と人間」という視点を加えて、<人類の心の進化>に少しだけアプローチしてみました。【2016年8月22日追記】

(**)鶴岡真弓『阿修羅のジュエリー』[理論社、2009]より。本書はヤング・アダルト向けのシリーズの1冊として書かれましたが、世界史・日本史という枠を取り払った、本格的な文化史になっています。図版も豊富です。