<問いからつくる世界史の授業>(古代)【イエスのことば・聖書の言語】

★当然のことではありますが、キリスト教の成立は、世界史においてたいへん重要なテーマです。授業では、歴史としてキリスト教の成立を教える以上、新約聖書学の成果を踏まえなければならないでしょう。具体的には、次のプロセスをきちんとたどる授業を行うことになります。

 1 イエスの活動と教え
     ⇩
 2 キリスト教の成立→「福音書」の成立
     ⇩
 3 布教と弾圧→公認
     ⇩
 4  『新約聖書』の成立、国教化、カトリック教会の成立、新旧聖書のラテン語

★教科書も<1イエスの活動と教え>と<2キリスト教の成立>を区別しながら記述していますが、この二つが混線しないよう注意したいものです(ミッション・スクールでは一定の配慮が必要ですが)。授業では、「福音書」の成立年代を伝えています。そうすることで、歴史的なとらえ方がより明確になります。

★もちろん、1と2のつながりも大切です。今回は、この2つを区別しながら関連させて理解するための問題ということになります。

★今回はあまり触れられませんが、4の内容も重要です。というのは、<「福音書」の成立>と<『新約聖書』の成立>も、分けて理解する必要があるからです。また、ヒエロニムスによる<新旧聖書のラテン語訳>についても、授業で必ず触れたいものです。そうでないと、生徒たちの、中世ヨーロッパのラテン語についての理解が、不十分なものになってしまいます。

★授業は、<オリジナルの史料問題+解説(■の部分)>で構成します。


問題☆ [プラスαの問題です。]

 次の文章は、『新約聖書』の「マルコによる福音書」の一節で、十字架上におけるイエスの最期のことばを記した部分です。読んで、あとの問いに答えなさい。

 <イエスは大きな声で叫んだ。「エローイ、エローイ、ラマ、サバクタニ」。これは訳すと「我が神、我が神、何ゆえ我を見捨て給いき」となる。[田川建三 訳]>

問 「訳すと」に注目して、考えてください。
 この一節を説明した次の文①〜⑥のうち、正しいものはどれでしょう。

 ① イエスギリシア語をヘブライ語に訳した。
 ② イエスギリシア語をアラム語に訳した。
 ③ イエスヘブライ語アラム語に訳した。
 ④ イエスヘブライ語ギリシア語に訳した。
 ⑤ イエスアラム語ヘブライ語に訳した。
 ⑥ イエスアラム語ギリシア語に訳した。


■「イエスのことば・聖書の言語」を理解することは、そんなに簡単ではありません。イエスを取り巻く言語状況が複雑だからです。

■当時(紀元後30年頃)のパレスチナ地方は、次のような多言語状況にありました。

 A ユダヤ人をはじめ、民衆は日常的にアラム語を話していた。
 B ヘレニズムの影響を受けた都市部ではギリシア語が話され、知識人層はギリシア語で読み書きした。
 C ユダヤ教に関わる宗教文書は、『旧約聖書』以来の伝統を継承し、ヘブライ語で書かれた。
 D 支配者(ローマ)の言語として、ラテン語も入ってきていた。

■イエスは、日常生活ではアラム語を話し、アラム語で民衆に語りかけていました。「エローイ、エローイ、ラマ、サバクタニ」もアラム語でした(厳密に言えば、アラム語ギリシア語綴り)。「ゲツセマネの祈り」に出てくる「アバ」も、アラム語です。

■通常の世界史ではアラム文字がクローズアップされますが、アラム語は非常に長く話され続けたのです。前8世紀から、パレスチナに広まっていったとされます。

■イエスは、もちろんヘブライ語に通じ、ギリシア語も解したとされています。

■『新約聖書』は、ギリシア語(コイネーと呼ばれる、ヘレニズム期にオリエントまで広まったギリシア語)で書かれました。したがって、正解は⑥になります。

■詳細は他のページを参照していただきたいと思いますが、AとBの関係は次のようにまとめることができます。

「イエスは救世主である」という信仰は、民衆のアラム語世界で成立し、都市部知識人のギリシア語世界で論理化されながら、諸文書にまとめられていった。

■「福音書」を歴史的にとらえることが、きわめて重要です。最初のイエス伝である「マルコによる福音書」は、60年代に(遅くとも70年代には)書かれたと考えられています。私の授業では、歴史的に最初に成立した「マルコによる福音書」を重視しています。なお、「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」は80年代〜90年代に、「ヨハネによる福音書」は90年代に書かれたと考えられています。「使徒行伝」やパウロの書簡、ペテロの書簡などを含め、『新約聖書』が最終的に現在の形になったのは4世紀後半のことでした。

*「マルコによる福音書」の一節は、新共同訳も使ってきましたが、今回は文意がより明確な田川建三訳を使用しました。


【参考文献】

 田川建三 訳著『新約聖書 訳と註 1』[作品社、2008]

 田川建三『書物としての新約聖書』[勁草書房、1997]

 上村静『旧約聖書新約聖書』[新教出版社、2011]


※関連ページ  ➡ 【イエスは、アラム語で民衆に語りかけた】 、【ギリシア語で書かれた『新約聖書』】

※『聖書』とその翻訳については、次のページをご覧ください。 ➡ ★『聖書』とは? 翻訳とは?− 新訳(聖書協会共同訳)に思うこと−

こんな考え方で書いていきます【<問いからつくる世界史の授業>について】