♥世界史ブックガイド[文化と社会]⑫【ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』】

 両親の言葉であるベンガル語の中で幼少期を過ごしながら、アメリカで英語によって自己形成し、著名な作家となったジュンパ・ラヒリ。彼女が、イタリア語に惹かれてイタリアに移住し、習得したイタリア語で書いたのが、本書です。21のエッセイと2つの短編小説からなっています。

 外国語を話すことも読み書きすることもできない私ですが、最初の3分の1ぐらいはよく理解できました。おもに外国語習得の難しさが綴られていたからです。しかし、短編小説「取り違え」から、切迫したものが急に大きくなってきて、読むのが苦しくなるほどでした。そこには、言葉と人間についての根源的な問いがありました。切迫感は、通奏低音のように、最後におかれた短編小説「薄暗がり」まで続いていきます。「薄暗がり」のラストは、ラヒリの新たな出発を告げているようでした。

 英語とベンガル語の狭間で苦しんでいた頃を、ラヒリは振り返っています。

 「わたしはベンガル語を話すことが恥ずかしかったが、同時に恥ずかしく感じることを恥じてもいた。」

 『(アメリカの店では、英語をちゃんと話せない)両親に対する店員の態度がとてもいやだった。二人を擁護したかった。こう言ってやりたかった。「二人はあなたたちの言うことが全部わかっているんです。ところがあなたたちは、ベンガル語だけじゃなく、世界のほかのどの言葉も一言もわからないじゃないですか。」それなのに、両親が英語の単語を一つでもまちがって発音すると、わたしはいらいらした。生意気にも彼らの言葉を言い直した。両親に弱みを見せてほしくなかったのだ。わたしが有利で、二人が不利な立場にあるのがいやだった。』

 完璧に英語を身につけていても、ラヒリは引き裂かれていたのでした。ベンガル語を強いられたものとしてしか感じられない時期があったのでしょうが、英語もまた強いられた言葉だったのかも知れません。アメリカ社会で生きていくための。40歳を過ぎて、ラヒリは、イタリア語をすさまじい努力で習得します。グローバルな言語である英語からイタリア語に身を投ずるなどということは、普通は考えられません。痛ましい選択のようにも思われます。しかし、ラヒリは、それを「わたしの願い」として選びとります。それは、「創造への衝動」でもありました。

 ラヒリには、英語、ベンガル語、イタリア語を結ぶ三角形ができています。英語が「永遠に明瞭で正確な声をわたしに提供してくれた」ことを確かめながら、イタリア語が決して母語に代わる言語ではないことを自覚しながら、ラヒリはこれからもイタリア語で書いていくのでしょう。そして、意外なことに、「音声的には英語よりもベンガル語の方がずっとイタリア語に近いと思う」と述べています。

 ベンガル語を、私はまったくわかりません。ただ、考えてみれば、詩人タゴールを生んだ言語です。「ベンガル語の魅力は心理や自然を描写するときの情感の豊かさにある」(臼田雅之)とも言われます。イタリア語で書くラヒリの中で、今後、ベンガル語はどういうものになっていくのでしょう?

 ふだん私たちは忘れています。人間が言葉によって生きていることを、言葉が人生そのものでさえあることを。『べつの言葉で』は、そのこと私たちにを思い起こさせてくれます。

 表紙の写真は、コルカタの街角でしょうか? とても素敵です。

ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』(中嶋浩郎 訳)、新潮社、2015】


※関連ページ ➡ 世界史ブックガイド④【多和田葉子『エクソフォニー』】