★単純化で見えなくなるもの【朝日新聞「歴試学のススメ・世界史編」について】

◆津野田興一さん執筆の「歴試学のススメ・世界史篇」については、以前にも取り上げました。ただ、毎回感じることがありますので、簡単に述べておきたいと思います。

◆問題点は二つあります。一つ目は、歴史の流れの単純化です。他の史実や他の視点を捨象して単純化すれば、一見わかりやすくはなります。しかしそれは、読者を「わかったようなつもり」にさせるだけで、歴史の多層性を見失わせることになります。

◆二つ目の問題点は、歴史的な事項を現代に引きつけて考えている部分にあります。現代との関わりで歴史を考えることは重要ですが、過去と現在の結びつけ方に飛躍があったり、表面的なとらえ方で終わったりしているように思えます。「最後の部分を言うためにこの出題を選んだのだろうか?」などと考えてしまうこともありました。

◆一つ目の問題点を、「古代オリンピックの廃止」(2015年12月3日付)で見てみます。津野田さんは、次のようにまとめています。

 『多神教が完全に否定されたことで、ゼウスを祭るオリンピアの祭典も「異教」として禁止されたのです。かつて地中海世界を覆っていた宗教的寛容の精神は失われ、キリスト教一色に染め上げられてゆきました。』

 多分、一神教の世界観に対する否定的見解が背後にあるのだと思います(それは日本史編でも見られました)。一神教のとらえ方については一応おくとしても、歴史的事実には謙虚に向き合う必要があります。このまとめ方で見失われるのは、次のようなことです。

 ①キリスト教のヨーロッパへの定着を多角的に見る視点
 ②ギリシアローマ神話の影響力の強さ

◆①についてですが、地中海世界に限っても、一気に「キリスト教一色に染め上げられて」いったわけではありません。たとえば自然崇拝、地母神崇拝などの伝統は簡単になくなるわけではないのです。「キリスト教一色に染め上げられて」いくのは、11世紀からの巡礼熱、レコンキスタの本格化、十字軍などの出来事からと言ってもいいと思います。それでも、自然崇拝などの伝統がなくなったわけではありません。

◆まとめの文章からは、②が全く説明できません。たとえば、ゼウス(ユピテル)がジュピターとなり、アフロディテウェヌス)がヴィーナスとなって、大きな影響をヨーロッパ人に与え続けてきたことは、多くの読者が知っています。②の内容を、先に引用したまとめに簡単にでも接続しておかないと、歴史的・文化的厚みがとらえられなくなってしまうのです。

朝日新聞の文化・文芸欄は、吉田純子さんの音楽関係の記事を筆頭に、良質な文章が多いと思います。それだけに、「歴試学のススメ・世界史篇」における歴史の単純化は残念です。

http://d.hatena.ne.jp/whomoro/20150703/1435893310:title-津野田興一「アケメネス朝ペルシャの言語」(朝日新聞)への疑問