現代 【ロンドンの夏目漱石と「開化」】

■1901年2月、夏目金之助漱石)は、ロンドンの街でヴィクトリア女王の葬列を目撃していた。新しい世紀が始まった年の1月、ヴィクトリア女王が死去した。それはパックス=ブリタニカの終焉を象徴する出来事であったが、この時夏目はイギリス留学中だったのである。1900年(明治33年)10月から1902年12月まで、夏目は文部省の留学生としてロンドンに滞在した。まさに世紀転換期のただ中であった。
 また、日英同盟が成立したのは、留学最後の年の1902年1月である。日本では祝賀ムードが広がっていたが、夏目は冷ややかに見ていたという。
 ロンドンに向かう直前夏目はパリ万国博覧会(第1回の万博は1851年ロンドンで開催され、イギリスの産業力が誇示された)を見学していたが、留学中から夏目が考え続けたのは、西欧の近代文明の実際の姿とそれを追いかけてきた日本のあり方だった。帰国後の1905年夏目は『吾輩は猫である』で作家としてデビューし、同年日本は日露戦争で多大の犠牲を伴いながら勝利する。
 夏目漱石は、1911年の講演「現代日本の開化」で次のように述べた。

「若し一言にして此問題を決しようとするならば私はこう断じたい。西洋の開化は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。」

※同時代  ニーチェ死去(1900) マックス・ヴェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904) 南アフリカ戦争(1899〜1902) 義和団事件(1900〜1901)