中世 南アジア 【仏教がインドで消滅したのは】

■仏教の成立とその発展(大乗仏教の成立と東アジアへの伝播、上座部仏教スリランカから東南アジアへの伝播など)については多くのことが述べられるが、インドにおける仏教の消滅についてはあまり触れられない。

 グプタ朝期の4世紀以降、ヒンドゥー教の隆盛により、仏教は次第に衰えていった。そして、13世紀初め(1203)、ゴール朝軍がヴィクラマシラー寺院(ベンガル地方にあった、仏教教団最後の拠点)を破壊し、インド仏教史は幕を閉じた。初めて北インドに都をおいたイスラーム王朝である奴隷王朝成立(1206)直前の出来事であった。イスラーム勢力の北インド進出が仏教の消滅を決定的なものにしたのだった。偶像崇拝の場として、仏教寺院が集中的に破壊・略奪を受けたのである。ヒンドゥー教ジャイナ教の寺院は被害にあわなかった。民衆を基盤としていたからである。

 インドにおける仏教教団は、祇園精舎の寄進に表れているように、在家のパトロン(王族や富豪)によって支えられていた。土地や伽藍、仏塔(ストゥーパ)が寄進され、出家者は安定した生活の中で勉学と修行に精励できたのである。アショーカ王(前3世紀)は、大パトロンであったと言える。ブッダの言葉を最もよく伝える『スッタニパータ』の表現とは異なり、すでに初期仏典の『阿含経典』は「比丘たちよ」(比丘は男性出家者)という呼びかけで満ちている。教団の中で、教学の精緻化と体系化が進んでいった。日本の仏教とは違い、出家者たちは在家の人々の世俗生活には介入せず、冠婚葬祭などの通過儀礼に関わらなかったのである。これに対しヒンドゥー教は、土着の信仰を積極的に吸収し、通過儀礼を通して民衆の生活に深く関わり、パトロンたちを仏教から奪い返していった。仏教教団は、新たなパトロンを求めて、西域へ、チベットへと移動していったとも言える。しかし仏教思想そのものは、中世以降のヒンドゥー教に大きな影響を与えたという。

 鈴木大拙は、次のように述べていた。「仏教がインドで首尾よく行かなかった主な原因は、仏教があまりに抽象的に概念化して、生活そのもの即ち大地に根ざした生活と分離してきたからである。」(『日本的霊性』、1944)

 奇しくも、13世紀初め、日本の仏教は大きな転換期を迎えていた。親鸞比叡山を離れ、法然門下に入ったところであった。栄西建仁寺を建立し、道元もこの世に生をうけていたのである。

《参考文献》
 辛島昇監修『世界の歴史と文化・インド』(新潮社)
 三枝充悳『仏教入門』(岩波新書
 鈴木大拙『日本的霊性』(岩波文庫

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