古代 東アジア 【『詩経』の愛の歌】

◆『詩経』と聞くと、仏教のお経の一つと誤解したり、中国の五経の一つと理解しても儒学堅苦しいイメージでとらえたりする。しかし『詩経』は、豊かな内容を持った中国最古の詩集であり、春秋時代の半ば頃(前600年頃)に編纂されたと考えられている。編纂者は明らかでないが、当初は伴奏があったという。孔子(前500年頃)の時代には『詩』と呼ばれていた。

 『論語』の中で、孔子は次のように述べている。
    「詩の篇の数は三百、一言で結論すると、『思い邪(よこしま)なし』につきる。」(為政篇、貝塚茂樹訳)
弟子たちに「何ぞ夫(か)の詩を学ぶこと莫(な)きや」と言っている場面もあり(陽貨篇)、『詩』を非常に重視していたことがわかる。前漢の時代に定められた五経の一つになり、『詩経』と呼ばれることになった。

 後漢の時代にかけて五経の注釈が盛んに行われ(訓詁学、当時の人々にとってもすでに数百年前の書物であった)、これを古注と呼ぶ。また、南宋朱子(12世紀)の注釈を新注と言う。中国には膨大な注釈の歴史がある。古典の読みの歴史が古典そのものと切り離せないという状況を生んできたのである。(江戸時代には伊藤仁斎荻生徂徠が、日本からこれに参入したのだった。)『詩経』に関しては、20世紀以降、フランスのマルセル・グラネの功績もあり、民俗学的解釈が盛んになって、今日に至っている。

 『詩経』の愛の歌は、儒学のフィルターをはずし、古代歌謡の姿に直に触れようとする考え方の中で、見直されている。たとえば、女性から野の花を贈られた時のことをうたった詩がある。
    「牧より荑(てい)を帰(おく)る / 洵(まこと)に美にしてかつ異
     匪(か)の女(じょ)の美を為し / 美人の胎(い)なればなり」
    [野で摘んだツバナを私にくれた。ほんとにきれいでめずらしい。
     その人の美しさだけでなく、その人の贈り物だからこそ。](牧角悦子訳)
 
 独特の繊細さとおおらかさが感じられる。孔子は、このような詩をも大切にしたのではないだろうか。孔子は仁の五つの要素の一つに「寛」(おおらかさ)をあげているが(陽貨篇)、後代の儒学のフィルターのかからない孔子がいたのかも知れない。
 
 人間としての喜びや愁い、自然との深い結びつき、豊穣への祈り、祖霊との祭り、一族の歴史など、『詩経』は、古代中国人のさまざまな姿を見せてくれている。

《参考文献》
 牧角悦子『詩経・楚辞』(角川ソフィア文庫
 宇野直人・江原正士漢詩を読む1』(平凡社
 貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
 奥野信太郎『中国文学十二話』(NHKブックス)