現代 東南アジア 【ホー・チ・ミンは読み上げた】

ハノイのバディン広場に集まった人々を前に、ホー・チ・ミンは、彼自身が起草した「ベトナム民主共和国独立宣言」を読み上げた。1945年9月2日のことであった。
 「全国の同胞たちよ」と呼びかけたすぐあと、「アメリカ独立宣言」の一節が引用され、さらには「フランス人権宣言」も引用された。ベトナムの独立を、欧米の人権思想と近代憲法原理の上に樹立しようとした点で、極めて重要なものであった。植民地支配を受けてきたアジアの人間が、欧米の思想を普遍的なものとして受け入れた上で、それを武器に独立を宣言したのである。ホー・チ・ミンは、フランスを中心に10数年を西ヨーロッパで暮らしていて、人権思想と憲法原理の大切さを熟知していたのであった。
 このベトナム独立宣言を、今日の目で読む時、注意しなければならないことが二つある。一つは、個人の自由や平等、幸福が、民族の自由、平等、幸福へと、巧みに読み替えられていることである。宣言は次のように述べている。

「この不朽の言葉は、1776年のアメリカ合衆国独立宣言の中にある。広く考慮すると、この言葉の意味は次のようになろう。すなわち、世界中のすべての民族は平等につくられている。あらゆる民族は生きる権利、幸福の権利、そして自由の権利を持っている。」(坪井善明訳、以下同じ)

また「フランス人権宣言」の引用の後には、次のように述べられている。

「80年以上にわたって、フランス植民地主義者どもは自由・平等・博愛の旗を利用して、わが祖国へ侵入し、わが同胞を抑圧してきた。彼らの行動は人道と正義にまっこうから反するものである。…この民族は当然、自由を享受すべきである。この民族は当然、独立を獲得すべきである。」

 前漢から唐までの1000年以上に及ぶ支配、独立(李朝大越国の成立は11世紀初め)後も何度となく中国の王朝と戦わねばならなかった歴史、そしてフランスの支配とファン・ボイ・チャウらの運動の挫折、これらを考えると、民族の強調は歴史的必然性を持っていた。強固なこの考え方がなければ、ディエンビエンフーでのフランスに対する勝利(1954)も、ベトナム戦争におけるアメリカに対する勝利(1973)も、なかったに違いない。ただ、この誇り高い民族意識が、他の東南アジア諸国に向けられた時もあった。ベトナム軍のカンボジア侵攻(1979)がその例である。また、個人の自由・平等・独立は、今後のベトナムで重要な課題となっていくだろう。
 二つ目は、この文書は、フランスからの独立だけでなく、日本からの独立をも宣言していることである。1940年からの日本軍の侵攻という歴史的事実を忘れることはできない。日本の降伏を受けての独立宣言だったのである。

《参考文献》
 坪井善明『ヴェトナムにおける「独立」』(『アジアから考える4・社会と国家』[東京大学出版会]所収)
 歴史学研究会編『世界史史料10』(岩波書店