【▲高校世界史の現状と大学教育】

◆日本の高校の「世界史」は、世界の諸地域の「大きな物語」のつなぎ合わせとして成立してきた。これは、大学の研究・教育がヨーロッパ史アメリカ史、中国史イスラーム史などに分かれて行われてきたためである。「世界史」という学問分野はなかったし、残念ながら、今もないと言っていいだろう。

◆高校の「世界史」教科書は、さまざまな「小さな物語」や新しい視点も取り入れられ、現在ではかなり充実してきている。日本のように公平な観点で「世界史」教科書が作られている国は、そう多くないだろう。しかし、日本の「世界史」教育はさまざまな問題を抱えている。

□高校「世界史」の内容は、大学の人文・社会系学部の教育には必須だと思われる。今や、世界の歴史や文化を知らずに、人文・社会系の学問を学ぶことはできないだろう。(本来は、理系学部も同じである。)

□しかし、「世界史B」(教科書は先史から現代まで詳しく叙述されている)を学んで大学に進学する生徒は、それほど多くない。それは、センター試験の「世界史B」受験者数を見るとわかる。「日本史B」や「地理B」に比べ、受験者数はかなり少ない。(平成2012年度の受験者数は、「日本史B」が157,372人、「地理B」が132,528人、「世界史B」は91,139人だった[「世界史B」受験者数は地理歴史受験者全体の23.4%]。[*])

□学習指導要領で、高校の「世界史」は必修となっている。したがって、大学入試を「日本史B」や「地理B」で受験する高校生も、「世界史A」(教科書は近現代史中心に叙述されている)を履修はしている。しかし「世界史A」は、単位数も少なく(標準単位数2)、高校では重要な科目として位置づけられていない場合が多い。「受験に関係ない」科目なので、きちんと取り組まない高校生が多い。また、「受験に関係ない」科目を熱心に教える先生も少ない。東大・文系のように、センター試験で「地理歴史B」3科目の中から2科目選択して受験させるのが理想であるが、現在の高校でそのようなカリキュラムを組むのはなかなか難しい。

グローバル化の加速度的な進行という現実にもかかわらず、日本の高校生の多くは、世界の歴史や文化をきちんと学ばないまま大学に行っているのである。

★「世界史A」の内容や授業のあり方は、これまであまり吟味されないできた。「近現代史を教えなければだめだ」というような考え方が流布されてきたが、ことはそれほど単純ではない。現在の「世界史A」は古代史・中世史が極端に簡略化されており、諸地域の基盤となった歴史や文化の学習が極めて不十分になっている。古代史・中世史の知識が不足のまま、近現代史をよく理解できるだろうか?

★近現代は欧米諸国が世界の中心になった時代である。教える側にしっかりした歴史観がないと、近現代史中心の授業は、生徒たちの中にある、無意識の欧米中心史観を強化することにつながりかねない。

★また、近現代史中心の「世界史A」は、争乱の歴史と化す恐れもある。戦争や革命や植民地化が羅列されていくような授業が、少なからず行われているのではないか。(これは、幕末以降を扱う「日本史A」も同じである。)残念ながら、教える側にも、文化の動向を含めてトータルに近代・現代をとらえる視点が乏しいという現実がある。少ない単位数の科目であるが(あるいはそれゆえに)、「世界史A」を豊かな歴史の授業として構成することは、意外と難しいのである。

★一方「世界史B」であるが、現在の「世界史B」の知識量は膨大なものであり、教える側にも相当の力量が求められる。(新課程用の教科書はさらにページ数が増えている。)膨大な知識量と大学入試という現実に対応するため、いわゆる進学校では、「世界史B」の授業は知識注入型が主流となってしまった。プリントの空欄にひたすら語句を記入させていくような授業も行われている。教員の側によほどの意識的な努力と工夫がないと、授業の中で「現在と過去との対話」(E.H.カー)を行うことはできなくなっている。

★したがって、本ブログで追求しているような社会文化史的な視点[**]から授業を展開することは、現実にはなかなか難しい。「歴史の中心的流れは、社会経済史を土台とした政治史」というような見方も、まだまだ残っている。そのため、文化史はごく簡単に付随的に扱われ、人名と作品名の暗記というような学習と化してしまう。また、「社会経済史を土台とした政治史」中心の考え方は、国民国家の枠組みを前提にしていることが多い。残念ながら、現状では、生徒たちが政治史・社会経済史と文化史のつながりに目を向けることも、国際的な広がりの中で文化を位置づけることも、少ないだろう。

○「地理歴史科」の免許を持った教員が世界史を教えている。しかし、冒頭で述べたように、世界史という学問分野がないこともあり、免許を持っているからと言っても、「世界史」を教えるのは簡単ではない。たとえば、大学院でローマ史を専門的に学んだ人が世界史を教えるようになった場合、よほど広く深い勉強をしてこない限り、「世界史B」を教えることは容易ではないだろう。日本史専攻だった人や法学部・経済学部等の卒業生の場合は、なおさらである。高校「世界史」は、教員養成の点でも、大きな問題を抱えているのである。

○現在の受験と教員養成のしくみのままでは、高校で簡単な「世界史A」を学んだ経験しかない人が「世界史B」を教えることにもなってしまう。また、高校で知識注入型の「世界史B」を経験した人が世界史の教員になって同じような授業をする、という悪循環が生じているかも知れない。

■大学における「世界史」あるいは「グローバル・ヒストリー」の観点も、十分ではないように思われる。先進的な取り組みをしている大学もあるが、少なくとも教養教育(共通教育)の中に、比較文明史あるいは比較社会文化史を踏まえた「世界史」講座をおくことが求められているのではないだろうか。教員養成における「教科教育」の講座のあり方も含めて、早急な検討が必要である。

●2012年には、マクニールの『世界史』が大学生協のベストセラーになった。しかし実は、問題の多い本である。驚くべきことだが、マクニールの本には、騎馬遊牧民は「蛮族」と記されている。また、たとえば、大西洋奴隷貿易にほとんど触れられていない。このような本がベストセラーとなってしまったことに、現在の「世界史」教育の困難な状況が表れているのである。

[*]各科目の受験者数の割合は、その後若干の変化がみられる。「地理B」受験者の割合がやや増加し、「世界史B」受験者の割合はやや減少しているのである。2015年度の「世界史B」の受験者数は84,053人で、地理歴史受験者全体の21.5%だった。(「世界史A」受験者を含めても、21.8%。)[2015年2月追記]

[**]「社会文化史」という語は、福井憲彦が使用している。(福井憲彦「社会史の視野」[『岩波講座・世界歴史1』所収)また、同じ考えはピーター・バークにも見られる。彼は「想像力の産物が経済的ないし社会的な力によって決定されるとは仮定せずに、文化と社会の関係を探ること」を重視している。(ピーター・バーク『イタリア・ルネサンスの文化と社会』[岩波書店])

※大学の歴史研究者の抱える問題については、次のページをご覧ください。 ➡ 世界史教育のいま −問われる教科書・研究者−【シンポジウムで見えたもの】

※具体的な授業のあり方については、次のページをご覧ください。 ➡ 【授業を考える(ミニ授業の公開にあたって)】