★新科目「歴史総合」・その課題を考える

【はじめに】

◇まだ次期学習指導要領は発表されていませんが、2022年度からの新必修科目「歴史総合」は、現行の「世界史A」と「日本史A」を統合した科目になるとされています。世界史・日本史という枠を越えた、総合的な近現代史の科目の設置は、高校の歴史教育にとって重要な意義を持つものです。教員も生徒も世界史と日本史を統合的に考えられないという状況が続いてきたからです。「歴史総合」の設置は、この不幸な状況に終止符を打とうとするものです。また、暗記中心と批判されてきた歴史教育を変えるきっかけをもたらすものだと思います。

◇ただ、楽観的な受けとめはできません。「歴史総合」は、近現代史の教育の難しい課題を一身に引き受けることになるからです。中途半端な科目になってしまう可能性も否定できません。「歴史総合」は歴史教育に変化をもたらすことができるでしょうか? 「歴史総合」が実りある授業として展開されるためには、何が必要でしょうか? 

◇「世界史必修は失敗だった」と言われていますが、「歴史総合」がその轍を踏むことは許されないでしょう。近現代史の教育の現状を確認したうえで、いくつかの提案をしておきたいと思います。科目の輪郭しかわからない段階ですので的外れな部分があるかも知れませんが、あえて大胆な提案をしています。「歴史総合」の重要性を考えると、中央教育審議会の最終答申や次期学習指導要領の発表まで静観するというわけにはいきません。

近現代史の教育の現状】

◆「近現代史の教育」が、まるで魔法の言葉のように使われることがあります。メディアでも「近現代史を教えないからダメなのだ」という論調が多く見られます。おおむね50代以上の人の体験や印象に依拠した考えが、検証されることなく流布されてきました。

近現代史を教えない学校は、今はほとんどないでしょう。高校入試にも大学入試にも出題されますから。問題は別のところにあります。近現代史の構造的な把握、それに基づいた授業内容の構成、課題意識を育むための授業方法などが問われているのです。

◆「生徒たちの近現代史理解が不十分」という調査結果がありますが、近現代史の授業はいくつかの壁にぶつかっています。まず、授業時数の確保の難しさがあります。現行の「世界史A」・「日本史A」は、多くの場合2単位で履修されていますが、教科書は3単位必要な内容です。内容を精選するしかないのですが、一部の学校を除き、十分な近現代史学習になっているとは言い難いと思います。

◆次に、授業内容の構造化という課題があります。近現代史の場合、複雑な国際関係を整理しなければなりませんし、戦争や革命などの羅列に終わらないよう授業を構成しなければなりません。そのためには、近現代を社会的・文化的な総体としてグローバルにとらえる視座が必要になります。しかし、この視座をきちんと持って授業を構成するのは、かなりたいへんな作業です。

◆さらに、先史から近世までの歴史をどう踏まえるかという課題もあります。諸地域の歴史的・文化的土台の理解が不十分なまま近現代史学習を進めれば、歴史の理解にゆがみが生じてしまうでしょう。加えて、いわゆる歴史認識の問題も避けることはできません。「歴史総合」はこれらの課題と正面から向き合う科目になります。

【「歴史総合」はどうあるべきか −単位数・科目編成・授業・大学入試−】

<単位数>

■「歴史総合」のあり方を、具体的に考えてみます。まず標準単位数です。科目の内容とも関連しますが、3単位は必要です。しかし、実際に検討されているのは、標準2単位かも知れません。

■この場合「歴史総合」は、「世界史A」の二の舞になってしまうと思います。先にも述べたとおり、授業時数が限られるため、駆け足の「近現代事件史」や「近現代戦争史」となる恐れがあります。2単位という設定で、さらに課題解決型の学習を求められれば、学校現場の悩みはいっそう深まるでしょう。近現代史のかなりの部分の学習を断念せざるをえなくなるからです。「内容の精選」という語が切り札のように使われるかも知れません。「近現代史全体の知識よりも関心・意欲を」ということになります。しかし、精選すれば、一方では「なぜ近現代史全体をきちんと教えないのか」という声もあがると思います。「歴史総合」は結局中途半端な科目となり、「生徒たちの近現代史理解が不十分」という調査結果が続くことになるでしょう。2単位では、「歴史総合」設置の趣旨を十分に生かすことができないのです。

<地歴の科目編成>

■標準2単位という設定は、現行の地歴B中心の科目編成が継承されるということを意味しています。次期学習指導要領における地理歴史科の科目編成は、次のように考えられているのではないかと思います。各2単位の「歴史総合」・「地理総合」の履修を土台として、各4単位の「世界史探究」・「日本史探究」・「地理探究」を選択させるという編成です。今までのB科目中心の考え方と基本的に変わりません。

■B科目中心の編成を継承するのかどうか、ここが大きな分かれ目です。「歴史総合」の成否がここにかかっていると言ってもいいと思います。B科目中心の編成を継承すれば、「歴史総合」はあくまで基礎的科目となり、発展的科目としての「世界史探究」・「日本史探究」に従属するかたちになるでしょう。そうなれば、「歴史総合」設置の趣旨を生かすことは難しくなります。

■「歴史総合」を生かすためには、発想を大きく変え、現行のB科目のありかたを含めて検討しなければなりません。現行の「世界史B」・「日本史B」の教科書は、指導要領改訂のたびに内容が増え、分厚くなり過ぎています。総合的な近現代史を必修とするのですから、新しい「世界史探究」・「日本史探究」の近現代史の部分は圧縮すべきでしょう。大学入試の改善とも関連しますが、単位数を含めて、「世界史探究」・「日本史探究」・「地理探究」と同等に「歴史総合」を位置づける考え方が必要です。同時に、「歴史総合」を以下のような科目として実施すれば、歴史教育は変わっていくでしょう。

<授業のあり方>

■科目編成を大きく転換し、「歴史総合」を、「世界史探究」・「日本史探究」・「地理探究」の履修と並行した、文字通りの総合的科目と位置づけます。

■具体的には、「講義と討論・レポート作成・発表などを組み合わせた演習的科目」とします。課題解決型の授業と言ってもさしつかえありませんが、近現代史全体の理解のためには講義も必要です。単位数が十分に確保されれば(4単位などとなれば)、公民・英語・国語・芸術など、他教科とのコラボレーションも可能です。外国の高校生や外国からの留学生との意見交換も考えられます。

■このような科目として実施すれば、高校教育の改善にも、大学教育への接続にも、グローバル化への対応にも、大きな役割を果たすことになるでしょう。次期学習指導要領は、このような取り組みを可能とする、柔軟性を持ったものであってほしいと思います。ただ、「歴史総合」を演習的科目として実施する場合、大学入試との連動が必須となります。

<大学入試との関連>

■「歴史総合」が入試に必要な科目とならない場合は、教科書の内容が充実したとしても、また演習的科目になったとしても、「それなりに勉強すればいい科目」になる可能性があります。残念ながら、現在の日本の教育状況では、その可能性が大です。近現代史教育の課題の解決も、なおざりになってしまうでしょう。

■そのような事態を避けるためには、受験科目に位置づけることが必要です。大学側も「歴史総合」を受験科目としてどう生かせるか、真剣に検討すべきでしょう。たとえば、「歴史総合」と「地理総合」を組み合わせて、地理歴史の名にふさわしい入試科目にすることが考えられます。

■また、「世界史探究」・「日本史探究」・「地理探究」は共通試験(センター試験後継)の科目に位置づけ、「歴史総合」を国公立大学の二次試験科目に設定することも考えられます。突飛な考えと思われるかも知れませんが、決してそうではありません。先に述べた、演習的科目という位置づけと連動するものです。具体的には、「論述問題、小論文、グループ・ディスカッション」などを課すことが考えられます。「歴史総合」を新しい課程の中でほんとうに生かすためには、私立大学を含めて、現在の地歴B科目中心の入試から脱皮することが必要です。

【おわりに】

◇次期学習指導要領の実施まで6年。新科目「歴史総合」の成否は、日本の歴史教育のゆくえを左右すると言っても過言ではありません。

◇現在はセンター試験改革に焦点が当たっています。「歴史総合」も「公共」もほとんど話題になりませんが、次期学習指導要領の解説が出てからでは手遅れになるでしょう。「百家争鳴」的な議論が、今から求められています。

高校世界史の現状と大学教育