▶書評【大阪大学歴史教育研究会編『市民のための世界史』】

☆世界史教育充実のための大阪大学歴史教育研究会の活動は、めざましいものがあります。その活動の現時点での集大成とも言うべきものが本書です。大学教養課程のテキストとして書かれました。帯には次のような言葉が並んでいて、本書の意図を伝えています。

 <新しい世界史がはじまる>
 ・世界史全体を鳥瞰した構図の提示
 ・先端研究と新領域の多彩な記述
 ・固有名詞や年代の羅列を排除
 ・中学・高校の歴史学習との連携
 ・市民が読める教養としての歴史

☆「序章 なぜ世界史を学ぶのか」と「終章 どのように世界史を学ぶか」からは、現在の高校・大学の世界史教育の問題点を踏まえながら新しい世界史教育に向かう意気込みが伝わってきます。内容もおおむね賛成できるものです。ただ、「この教科書は、現役高校教員への挑戦状でもある」、「無駄な知識をたくさん暗記させている高校現場への挑戦でもある」という言葉には、驚かされました。高校の世界史教育の不十分さは本ブログでも再三取り上げてきましたが、本書のこのような姿勢は、歴史学習における高大連携を阻害してしまうのではないでしょうか。多くの高校教員は「大学入試の改革もせずに高校側を責めるのか」と思うでしょう。

☆さまざまな本の書評を読んで感じるのですが、残念ながら、学問の世界でも、しばしば「仲間ぼめ」が見られます。そうでない場合は、「無視」という態度がとられることも多いようです。本書に対してもこの二つの対応が取られるのではないかと、危惧しています。いずれの対応も、世界史教育の充実にはつながりません。

☆本書には、歴史のとらえ方を中心に、多くのことを教えられました。しかし、「世界史のテキストとして高校の新課程教科書よりすぐれたものになっているか」と問われた場合、首を縦に振るのは難しいかも知れません。以下で、本書に対するいくつかの疑問を述べたいと思います。あくまで「より良い世界史テキスト」と世界史教育の充実を求める立場からのものであることを、お断りしておきます。

◆序章の中の「地域区分と時代区分」ですが、地域区分や時代区分は歴史の見方とも関わりますので、もう少し立ち入った解説があればよかったと思います。たとえば、「オリエント」、「中東」などの語が歴史の見方と関わることをここで指摘すれば、叙述にふくらみが出たと思います。時代区分については、少し本格的な「時代区分論」が必要だったのではないでしょうか。

◆具体的な地域区分には、問題があります。「以下の地域区分は便宜的なもの」と断ってはいるものの、「西アジア北アフリカ・地中海とヨーロッパ」というまとめ方は疑問です。西ヨーロッパ・東ヨーロッパの区分も示されていません。また、サハラ以南のアフリカ、オセアニアが「その他の地域」として簡単に扱われてしまいました。これでは、<新しい世界史>にはならないでしょう。

◆時代的には近現代が、地域的にはアジアや中央ユーラシアが重視されています。そのためでしょう、古代・中世における地中海地域やヨーロッパの位置づけが弱くなっています。特に、中世の西ヨーロッパ・東ヨーロッパの記述がとても簡単になってしまいました。「ヨーロッパ中心史観」の乗り越えが再三語られているのですが、その乗り越えのためにはきちんとしたヨーロッパ理解が欠かせません。しかし本書は、ヨーロッパ理解を深めるテキストにはなっていないようです。「ヨーロッパ中心史観」の乗り越えはアジア史重視によってなされると考えているようですが、ヨーロッパを相対的に小さく扱い、アジアや中央ユーラシアを重視すれば<新しい世界史>になるというわけではないと思います。(*)

◆近世以降はヨーロッパを小さく扱うわけにはいきませんので、近代世界システム論で書かれることになります。近代世界システム論に根本的な疑義があるわけではありませんが、別な視点をプラスして考えることも必要だと思います。一例をあげれば、フランス革命です。フランス革命は、近代世界システム論からすると、やや挿話的な扱いになってしまいます。現に、本書のフランス革命の扱いは驚くほど小さいのですが、これが適切だとは考えられません。なお、中央ユーラシアについては、モンゴル帝国以前が過大に扱われています。一方、近現代の中央ユーラシアについては視点があいまいです。

◆残念なことに、サハラ以南のアフリカ史は軽く扱われています。マリ王国やスワヒリ語などの記述はありません。また「アジアの苦悩」は書かれても、ハイチ革命以後のラテンアメリカが正面から取り上げられることはありません。メキシコ革命も日本人のブラジル移住も(ハワイ移住もですが)、述べられていません。グローバル化の時代を生きる私たちにとっての世界史とは、言い換えればグローバル・ヒストリーとは、こういうものではないはずです。

◆近世の砂糖の歴史についてはたいへんよく書かれていますが、インドやイスラーム世界の砂糖生産については触れられていませんでした。これでは、「先端研究と新領域の多彩な記述」とは言えないでしょう。インド、中国、イスラーム世界の砂糖生産について記述してはじめて、「砂糖の世界史」が成り立ちます。

◆「固有名詞や年代の羅列を排除」するとは言っても、チョーサーやラブレーを紹介しながら、ダンテやボッカチオについて述べない世界史テキストというものは、考えられません。全体に、文化は軽視されています。たとえば、ソクラテスプラトン、マキァヴェリ、ベートーヴェンなどの記載はありません。「ハイカルチャー」(このような語を使うことも疑問ですが)は取り上げないという考え方なのでしょうか? 習近平は書かれていても、玄奘李白の記載はありません。プーチンは書かれていても、トルストイの記載はないのです。後で述べるロゼッタ・ストーンなどのことも含め、「教養としての歴史」にはなっていないと思います。

◆アジア、特に東アジアに重点をおいたとのことですが、日本の満州支配についての記述は極めて不十分だと思います。また、沖縄返還日中国交正常化については、なぜか注で触れるにとどまっています。世界史と日本史との関連についても十分ではありません。ザビエルやラクスマンについての記述は、見当たりませんでした。

◆通常の世界史では考えられないことですが、シュメール人ロゼッタ・ストーンの記述はありません。したがって、楔形文字にも神聖文字にも、言及されていません。しかし一方では、現在進行中の「集団的自衛権」に、複数箇所で触れています。世界史のテキストとしては、驚くべきアンバランスと言うほかありません。

◆網掛けの部分(文字が不鮮明になっているのでとても読みづらいのですが)には歴史のとらえ方が述べられていて、読みごたえがあります。教養課程のテキストとしては、十分な内容だと思います。ただ、特に近世以降は、執筆者のかなり強い主張が盛り込まれています。「暗記事項の羅列はいっさいしない」代わり、学生たちに執筆者の歴史観を強いることになっているような気がしてなりません。

◆少なくとも私は、(無意識にせよ)ある歴史観を学生たちに植え付けようとするテキストは望んではいません。それでは、「自由主義史観」の人たちと同じ思考法になってしまいます。今必要なのは、学生たちがさまざまな史実・データ・見方をつき合わせながら、歴史へのアプローチ力を育てていけるようなテキストではないでしょうか。残念ながら、本書はそのようなテキストとはかなり隔たっているように思われます。

☆19世紀のロシア・東ヨーロッパの取り上げ方、ジェンダー視点や社会史・心性史の問題など、他にも書かねばならないことはあるのですが、とりあえず以上で一区切りとしたいと思います。辛口の感想になってしまいましたが、本書への期待が大きかった分、多くの問題を感じることになりました。

☆「より良い世界史テキスト」の作成がいかに難しいか、あらためて考えさせられています。

(*)川北稔氏が同様のことを述べられていました。「近年の世界史ないしグローバル・ヒストリには、いくつかの大きな問題が内包されはじめているようにも感じられる。(中略)最も重要なポイントは、近代史におけるヨーロッパ中心史観への批判が、ともすると、奇妙なアジア中心史観というか、アジア事大思想のようなものにすり替えられていることである。」【川北稔「世界システム論の昨今 −歴史学のいま(一)」[「図書」2015年2月号(岩波書店)]】【2015年2月追記】

大阪大学歴史教育研究会編『市民のための世界史』(大阪大学出版会、2014年4月、1900円)】

桃木至朗さんの姿勢には、疑問を感じています。 ➡ 【書評に対する桃木さんの反論について】世界史教育と教科書・研究者【シンポジウムが映し出したもの】

関連ページ1 ⇒ 【高校世界史の現状と大学教育】

関連ページ2 ⇒ 【世界史の授業を考える】