<問いからつくる世界史の授業[資料]>(近世)【「名誉革命」、そしてアイルランド】

★17世紀の「イギリス史」の授業は、旧来のとらえ方(イングランド中心の「ピューリタン革命〜王政復古〜名誉革命」というリニアな史観)で行えば割合簡単ですが、新しい見方を盛り込もうとすると、かなりの工夫が必要です。

★今回は詳述しませんが、まず「ブリテン諸島史」というとらえ方を踏まえなければなりません。イングランドウェールズスコットランドアイルランドの相互関係の総体を、ヨーロッパ大陸との関わりを重視しながら見るという考え方です。「ピューリタン革命」も、「ブリテン諸島の内戦〜ピューリタン軍事政権」と押さえなければならないでしょう。なお、ホッブズをこの時期に位置づけて授業を組み立てることも大切だと思います。

★今回は「名誉革命」期にしぼった問題ですが、「名誉革命」期についての各教科書の記述は、実はかなりばらつきがあります。世界史Bの教科書を3つの点で比較してみます。これだけでも、「名誉革命」期の授業が簡単ではないことがわかると思います。

 1 見出しに「名誉革命」という語を使っていない教科書 ➡ 「詳説世界史B」(山川)、「新世界史B」(山川) 【「詳説」は、「名誉革命」という語に注で触れているだけです。これに対し、1640年〜60年を「イギリス革命」と呼び太字で記しています。不思議な記述です。】

 2 イングランドとフランスの対抗関係に触れている教科書 ➡ 「新世界史B」(山川)、「世界史B」(東書)、「世界史B」(実教)、「新詳世界史B」(帝国) 【なぜか、「詳説」は触れていません。】

 3 オランダ統領ウィレムが軍を率いてイングランドに上陸したことに触れている教科書 ➡ 「世界史B」(東書)、「新詳世界史B」(帝国) 【「新世界史B」は最も詳しい記述をしているのですが、この点については、「詳説」と同様、単に「オランダからまねき」と記しています。】

★1についてですが、私は授業で「名誉革命」という語を使ってはいます。ステュアート朝の転覆ではなく、ステュアート朝を継続しながらの大転換という意味で、「名誉革命」と言えるのだろうと考えています。教科書はメアリ(2世)の血筋を強調することが多いのですが、ウィレム(ウィリアム3世)も、チャールズ1世の孫です。

★2の対抗関係と3の史実は、不可分の関係にあります。ウィレムは14000人の兵を率いてロンドンに入りました。このことを等閑視して「名誉革命」を教えることはできません。

★以下の問題では、「名誉革命」の性格を確認しつつ、アイルランドが置かれた状況を理解してもらおうとしています。


☆ 問題 ☆ [標準]

 次の文章は、「名誉革命」直後の状況について述べたものである。空欄(A)〜(C)に当てはまる語の組み合わせとして適切なものを、あとの①〜④のうちから一つ選べ。

 ジェームズ2世がフランスの軍事援助を得て到着し、ブリテン攻撃の前奏として( A )全土を確保しようとしたとき、全( B )は結束して( A )総督とジェームズ2世に抵抗することとなった。「名誉革命」は、イングランドでは概ね無血であったが、( A )では並外れて血なまぐさかった。[中略]1710年までに、( A )の人口の3分の2にあたる( C )の土地所有は、全土の10%以下となった。彼らは公的生活から徹底的に排除され、あらゆる小さな差別にさらされた。( A )問題は、新たな、そしてより根深い形へと移行したのである。【ジョン・モリル「17世紀」(後藤はる美 訳)より】

 ① A:スコットランド  B:プロテスタント C:カトリック
 ② A:スコットランド  B:カトリック    C:プロテスタント
 ③ A:アイルランド  B:プロテスタント C:カトリック
 ④ A:アイルランド  B:カトリック    C:プロテスタント


◆問題文は、ウィリアム3世軍がルイ14世と結んだジェームズ2世軍を破ったこと(1689年〜91年)と、その後の「名誉革命」政権によるアイルランド収奪について
述べています。正解は、③です

◆この問題を使った授業で確認するのは、次の3点です。

 1 「名誉革命」による立憲王政の成立は、同時にオランダとの同盟(同君連合)の成立であった。

 2 このプロテスタント国同士の同盟は、カトリック国フランスに対抗するものであった。(ルイ14世によるオランダ侵略戦争は1672年〜78年、ナントの王令廃止は1685年、ファルツ戦争は1688年〜97年だった。)

 3 17世紀半ばのクロムウェルによる征服から「名誉革命」後の18世紀初めにかけて、アイルランドは完全にブリテンに支配された。これ以降300年にわたって、深刻な「アイルランド問題」が続くことになる。


★高校世界史においても、イングランド中心の「イギリス史」からの脱却が求められています。

★なお「詳説」は、本文の不備を補うかのように、「アイルランドにおける土地没収」という図を載せています。1641年と1703の土地所有状況を比較した、すぐれた図版です。

※ジョン・モリル「17世紀 −アイルランドの困難の時代−」は、「思想」2012年11月号(アイルランド問題特集号)所収。

こんな考え方で書いていきます【<問いからつくる世界史の授業>について】

復習プリント【イングランドのジャマイカ占領】