現代 ヨーロッパ 【戦場写真家が生まれた】

◆スペイン内戦が始まって2ヵ月後の1936年9月、コルドバ戦線で1枚の写真が撮られた。「崩れ落ちる兵士」。(画像がなくて申し訳ありません。)撮ったのは、ロバート・キャパだった。人民戦線政府(共和国)軍の兵士がフランコ軍に撃たれた瞬間の写真は、フランスやイギリスの雑誌に掲載され、反響を呼んだ。そして翌年、アメリカの「ライフ」に転載され、写真家キャパは一躍その名を知られるようになった。戦場写真家が生まれたのである。写真がヨーロッパで誕生して、1世紀後のことであった。

 スペイン内戦は1936年7月に始まり、1939年4月フランコ側の勝利に終わった(1975年までフランコの独裁が続く)。この間、人民戦線政府側をソ連が支援し(イギリスやフランス人民政府は傍観した)、たくさんの義勇兵が駆けつけた。アメリカの作家ヘミングウェイやフランスの作家マルローがよく知られている。また、イギリスの作家オーウェルの『カタロニア讃歌』(1938)は、市民の立場から書かれた屈指のルポルタージュである。一方フランコ側を援助したのが、ヒトラーのドイツとムッソリーニのイタリアであった。ドイツ空軍のゲルニカバスク地方の都市)爆撃とこれに抗議して描かれたピカソの『ゲルニカ』は、あまりにも有名である。この内戦の取材で、キャパは恋人ゲルダを失った。

 キャパ(本名フリードマン・エルネー・エンドレ)は、1913年ハンガリーブダペストユダヤ人の家庭に生まれた。サライェヴォ事件が起きて第一次世界大戦が勃発するのは、翌年である。1931年(18歳)反政府運動に関わって国外追放となったキャパは、ベルリンに行く。写真通信社の暗室係助手として働くうち、1932年、代役で写真を撮ることになった。経営者がキャパに言った。「あのトロツキーコペンハーゲンに来る。行って撮ってこい。」スターリンによって国外追放になっていたトロツキーは、ヨーロッパを転々としていたのである。こうして、トロツキーの演説する写真が、写真家キャパの初仕事となったのだった。しかし、ドイツではナチスが勢いを増し、1933年1月ヒトラーが首相の座につく。ユダヤ人キャパはパリに移った。

 キャパの戦場写真家としての名声を決定的にしたのは、第二次世界大戦中のノルマンディー上陸作戦(1944年6月)に従軍した時の写真である。キャパは波にさらわれそうになりながら、胸まで海水に浸かって上陸する兵士を撮った。少しブレた写真は、臨場感溢れるものだった。また、パリ解放(8月)の直前、シャルトルで撮られた「髪を剃られ町を追放される、ナチに協力したフランス人女性」は、深く胸を打つ傑作である。髪を剃られ、さらし者にされた女性の腕には、ドイツ兵との間に生まれた赤子が抱かれていた。

 戦後アメリカ市民権を得たキャパは、1947年、世界各国の写真家が自由に活動できる場として、通信社マグナムをつくった。キャパのほか、アンリ・カルティエ・ブレッソン(街中のさりげないスナップの美学で知られているが、世界史の資料集などによく載っている、清朝末期の宦官の写真を撮ったのは、ブレッソンである。)やデイヴィッド・シーモアなど5名で結成したのだった。マグナムは、今日まで、フォト・ジャーナリズムに大きな影響を与え続けることになる。

 1954年、日本を訪れていたキャパに、インドシナ戦争取材の仕事が「ライフ」から舞い込んだ。キャパは、死に場所を求めるかのように、羽田からベトナムへ飛んだ。敗色濃厚なフランス軍に従軍したのである。ベトナムの普通の人々へも、キャパの暖かい目は注がれていた。キャパは、水田で農作業をする農民を撮ろうとして、地雷を踏んだのだった。左足は吹き飛ばされ、胸には大きな穴があいたという。5月下旬、フランス軍ディエンビエンフーで敗れた半月後のことであった。40歳だった。

 20世紀半ば、キャパによって、戦場写真家の道は切り開かれた。19世紀前半、ゴヤドラクロワなどが絵画で表現した戦場、それが一瞬の映像で切り取られることになった。キャパによって「崩れ落ちる兵士」が撮られたちょうどその頃、ドイツの思想家ベンヤミンは「複製技術の時代における芸術作品」を書いていた。複製の流通という中で、芸術作品からアウラ(オーラ)が失われ、芸術が非特権化し大衆化することを、ベンヤミンは指摘していた。しかし、まさに複製技術と大衆化の真っ只中で、戦場写真は独特のアウラを持つに至ったと言えるかも知れない。
 
 戦争という最も悲惨な現場があって初めて可能となるアウラ。これが、私たちの現実なのである。

沢木耕太郎によれば、「崩れ落ちる兵士」は実は演習中の写真であり、足を滑らせて倒れる瞬間を撮ったものであるという。しかも、撮ったのは恋人ゲルダだったとのことである。[NHKスペシャル「運命の一枚」、2013年2月3日放映]

《参考文献》
 加藤哲郎『戦争写真家ロバート・キャパ』(ちくま新書
 「写真の世紀展」カタログ
 ジョージ・オーウェルカタロニア讃歌』(都築忠七訳、岩波文庫
 『ベンヤミン・アンソロジー』(山口裕之編訳、河出文庫)