2012-01-01から1年間の記事一覧

中世 イスラーム世界・ヨーロッパ 【12世紀・イベリアの光の中で】

■1168年頃イブン・ルシュド(1126〜98)は、コルドバで、師のイブン・トゥファイルとともに、ムワッヒド朝のスルタンに謁見していた。彼は回想している。 『王は「天についての彼ら哲学者の考えはどのようなものか。天は永遠か、あるいは創造されたものか」…

近代 ヨーロッパ 【ランボーは、ヨーロッパを去った】

◆19世紀の後半、一人の詩人が疾風のようにフランスを駆け抜けていった。アルチュール・ランボー(1854〜91)。1873年、18歳で詩集『地獄の季節』を出版したランボーは、翌年詩集『イリュミナシオン』を完成し、原稿を詩人ヴェルレーヌに託した。しかし、20歳…

近世 ヨーロッパ 【血液は、循環している】

★心臓の働きと血液の循環を立証したハーヴェイ(1578〜1657)は、高校の世界史でも倫理でも、あまりに軽く扱われている。1628年出版の『動物における心臓と血液の運動に関する解剖学的研究』は、17世紀科学革命の一翼を担う、重要な書物であった。 後のダー…

近世 ヨーロッパ 【カントの町・ケーニヒスベルク】

■カント(1724〜1804)は東プロイセンのケーニヒスベルクに生まれ、一度もこの都市の外に出ることなく生涯を終えた。同じドイツのベルリンやフランクフルトやミュンヘンほどには知られず、今はロシア領カリーニングラードになってしまった都市。しかし、そこ…

中世 ヨーロッパ 【激しい政争の後、ダンテは】

■現代では、孔子の「四十にして惑わず」よりも、ダンテ『神曲』冒頭の次の文章の方が、共感を持って受けとめられるにちがいない。 「ひとの世の旅路のなかば、ふと気がつくと、私はますぐな道を見失い、暗い森に迷いこんでいた。」(寿岳文章訳、以下同じ) …

近代 東アジア 【「太平天国」の夢】

★洪秀全(1814〜64)らが中心となった太平天国の乱(1851〜64)は、キリスト教の影響を受けた反乱であった。ただ、洪秀全らが組織した拝上帝会は、中国の伝統思想や土俗的な信仰に基づく面を強く持っていた。 客家(はっか)出身の洪秀全は、4度目の科挙受験…

中世 ビザンツ帝国 【聖像破壊運動が吹き荒れた】

■イスラームのウマイヤ朝軍を退けたばかりの皇帝レオン3世は、726年自らの信条を表明した。キリストやマリアを描きそれを拝むことは、聖書に禁じられた偶像崇拝であると、主張したのである。730年には、正式に聖像破壊の勅令が出された。イスラームの偶像崇…

現代 北アメリカ 【ノーマ・ジーンは、駆け抜けた】

★1962年5月、会場にマリリン・モンローの甘い歌声が流れた。ジョン・F・ケネディ大統領の誕生パーティで、「ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー」を歌ったのだった。アメリカン・ドリームのヒロインとして絶頂にあったかに見えたマリリン・モンロー。しかし…

古代 東南アジア 【アンコール・ワットの光と影】

◆カンボジアの世界遺産アンコール・ワットは、12世紀前半、アンコール朝のスールヤヴァルマン2世(位1113〜50)によって造営された。王の即位とともに着工され、30年以上の歳月をかけて造られた。ヒンドゥー神話「乳海攪拌」や古代インドの叙事詩『マハーバ…

現代 イスラーム世界 【闘うアフガーニー】

★アフガーニー(1838頃〜97)を扇動家・政治的攪乱者とみる見方は、過去のものとなった。 アフガーニー(アフガン系)と自称したが、実際はイランの出身で、ムハンマドと4代カリフ・アリーの血を引く家系に生まれた。<スンナ派・シーア派>という枠組みを…

現代 ヨーロッパ 【戦車と装甲車が、プラハの街を埋めた】

★1968年、チェコスロヴァキアは、改革の希望に燃えていた。「プラハの春」である。 ドプチェク第一書記のもと、共産党自身が改革に乗り出した。4月、共産党の文書は次のように述べた。「党の目標は、社会の万能の支配人になることや、その指令によってあら…

古代 地中海世界 【イオニアの海辺で、哲学が生まれた】

★哲学はなぜギリシア世界で生まれたのか? なぜギリシア本土ではなく、エーゲ海東岸のイオニア地方で生まれたのか? いわゆる自然哲学者(プレ・ソクラテス期の哲学者)の多くが、イオニアのギリシア人都市やその近くの人であった。ミレトスからはタレスやア…

近世 アジア 【ザビエルの遺骸】

■1543年にポルトガル人が種子島に漂着したことから鉄砲が伝来したこと、そして6年後にイエズス会のザビエルがやって来たことは、よく知られている。しかし、なぜか、ザビエルとポルトガルの関係が見えるようには教えられない。 ポルトガル人種子島漂着の前…

近世 ラテンアメリカ 【コルテスとマリンチェ】

■1519年、スペイン人コルテスはメキシコ湾に侵入し上陸した。高原部に入り、トラスカラ(アステカ帝国の支配に抵抗し独立を維持していた都市国家)の部隊と戦った。コルテス側は兵500人(うち騎兵15)であったが、数万のトラスカラ部隊を圧倒した。鉄製武器…

近代 北アメリカ 【詩人ホイットマンが、侍たちを見た】

★1860年6月ニューヨークで、アメリカの詩人ホイットマンは、日本からやって来た侍たちを見た。幕府の遣米使節団の一行(77名)が、日米修好通商条約(1858)の批准書交換のため、アメリカに滞在していたのである。使節団一行は大歓迎を受け、日米の国旗が飾…

近代 ヨーロッパ 【自由の女神 −フランス革命〜ドラクロワ−】

◆「民衆を導く自由の女神」は、フランスを代表する絵画である。ロマン派の旗手ドラクロワが、1830年の七月革命を題材に、その年のうちに描いた。七月革命では、反動的なシャルル10世のブルボン復古王政が倒れ、ルイ=フィリップの立憲王政が成立した。しかし…

近世 ヨーロッパ 【旅するデカルト】

◆フランス人デカルト(1596〜1650)は、名門ラ・フレーシュ学院(イエズス会が設立)で10歳から18歳まで学んだ。1610年アンリ4世が狂信的旧教徒に暗殺されると(16世紀後半のユグノー戦争の余燼はまだくすぶっていた)、遺言により、アンリ4世の心臓はラ・…

近世 東アジア 【王安石の情熱】

★新法で有名な、北宋の政治家・王安石。改革を開始する約10年前皇帝・仁宗に提出した「万言書」は、古来名文と言われてきた(王安石は唐宋八大家に数えられる)。そこには、37歳の官僚の、改革へのまっすぐな情熱が表れていた。「これが1000年前の文章か」「…

中世 中央アジア・西アジア 【ティムールが、シリアで出会ったのは】

■14世紀末から15世紀初めにかけて、中央アジアのサマルカンドを都とするティムール帝国は、驚くべき勢いで支配地域を拡大した。その領域は、東はトルキスタン東部・インド北西部から、西はイラン・メソポタミア・小アジア東部にまで及んだ。トルコ語を話すモ…

現代 ヨーロッパ 【マヤコフスキイの希望は、打ち砕かれた】

■ロシア十月革命(1917)以降のロシア、ソヴィエト連邦を、政治革命の枠を超えた芸術・文化の革命の場と考えた人々がいた。この人々が創り出した潮流を「ロシア・アヴァンギャルド」と呼ぶ。その一人に、詩人のマヤコフスキイがいた。1918年、マヤコフスキイ…

中世 西アジア 【イスラーム教の誕生】

★ユダヤ教やキリスト教がすでに歴史を刻んでいた中で、イスラーム教が誕生する必然性は、どこにあったのか? ムハンマドはマッカ(メッカ)の商人であった。マッカやマディーナ(メディナ)を含むヒジャーズ地方は、6世紀から交易ルートとして活況を呈する…

古代 地中海世界 【イエスは、アラム語で民衆に語りかけた】

■『新約聖書』の配列とは違い、四福音書のなかで最も早く成立したのは「マルコによる福音書」であったが(60年代に書かれたと言われる)、福音書記者マルコはイエスの最後の言葉を次のように記している。『イエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、…

中世 東アフリカ 【スワヒリ世界ができた】

■現在タンザニアやケニアではスワヒリ語が公用語となっている。スワヒリ語は、現地のバントゥー語とアラビア語が混じり合ってできた。アラビア語がどうして東アフリカに伝わったのか? 7・8世紀以降のイスラーム世界の急速な拡大は、交易活動の活発化や人…

古代 南アジア 【ゼロの発見】

■ゼロの概念をともなう十進法表記は、5世紀頃、グプタ朝期のインドで成立した。ゼロは、●または○で表された。ゼロを数字の一つとして考えたこと、ここに認識上の革命があった。 6世紀の天文学書にはゼロの足し算・引き算の例が記載されている。また、数学…

近世 ラテンアメリカ 【ジャマイカの苦難】

★ジャマイカは、日本ではレゲエやコーヒー豆ブルーマウンテンで知られてきたが、かつてイギリスの植民地であった(1670〜1962)。2012年ロンドン・オリンピックにおける、ウサイン=ボルトの3冠は、ジャマイカの人々やイギリスにいる60万人のブラック・カリ…

その他 【時代区分について】

○世界の諸地域の歴史を単一の尺度で区分することは、困難である。また歴史の見方そのものと密接に関連しているため、諸説がある。したがって、ここでの時代区分は便宜的な部分を数多く含んでいる。異論はたくさんあると思われる。○中国史を中心とした東アジ…

中世 東アジア 【北魏・孝文帝の漢化政策】

■農耕民ではない民族が、華北の農耕地帯に侵入するだけでなく、これを支配するようになった時、どのように農耕民(漢人)を統治すればいいのか。騎馬遊牧民の鮮卑が建てた北魏の100年近い華北支配(439〜534)は、その最初の本格的試みであった。 北魏は孝文…

現代 【ロンドンの夏目漱石と「開化」】

■1901年2月、夏目金之助(漱石)は、ロンドンの街でヴィクトリア女王の葬列を目撃していた。新しい世紀が始まった年の1月、ヴィクトリア女王が死去した。それはパックス=ブリタニカの終焉を象徴する出来事であったが、この時夏目はイギリス留学中だったの…

中世 ヨーロッパ 【ノルマン・コンクェストと「イギリス史」】

◆ノルマン・コンクェスト(1066)とは、ノルマンディー公ギヨーム(フランス語名)がイングランドを軍事的に征服した出来事である。ギヨームは、イングランドでは、ウィリアム1世としてノルマン朝(〜1154)を創始した。ただ、ノルマンとフランスとイングラン…

総合 地中海世界・ヨーロッパ 【キリストは神か人か、そして聖母マリアは】

■エフェソスは、エーゲ海東岸のギリシア人(イオニア人)の都市で、前11世紀頃からアルテミス神殿を中心に発展した。神殿の規模は、アテネのパルテノン神殿をしのぐものだったという。アルテミスは、通常ギリシア神話では狩猟と月の女神とされるが、もともと…