現代 ヨーロッパ 【マヤコフスキイの希望は、打ち砕かれた】

■ロシア十月革命(1917)以降のロシア、ソヴィエト連邦を、政治革命の枠を超えた芸術・文化の革命の場と考えた人々がいた。この人々が創り出した潮流を「ロシア・アヴァンギャルド」と呼ぶ。その一人に、詩人のマヤコフスキイがいた。1918年、マヤコフスキイは次のようにうたった。

 「同志諸君!/バリケードへ!/心臓と魂のバリケードへ行け」(水野忠夫訳、以下同じ)

芸術家たちは、帝政ロシアの文化という古い衣を脱ぎ捨て、自由な表現・魂の解放へと向かったのである。
 しかし、芸術家たちに求められたのは、ソ連という体制の維持・強化のための活動だった。レーニンの死(1924)、トロツキーの国外追放(1929)を経て、スターリンの独裁体制ができ上がる時代に、マヤコフスキイは失望を深めていった。すでに、画家のシャガールやカンディンスキイをはじめ、多くの芸術家が祖国での活動を諦め、西ヨーロッパやアメリカに亡命していた。彼はソ連にとどまったが、1928年には次のように書いている。

 「愛する祖国を/異国の地を踏むように通り過ぎてゆくのだ」

この2年後の1930年、とうとうマヤコフスキイは死を選ぶ。ピストル自殺であった。
 マヤコフスキイの死は、一つの時代の終わりを告げていた。まもなくスターリンは、「大粛清」(1934〜39)へとつき進んでいく。数百万の人々が、銃殺されたり強制収容所に送られたりしたのである。

※同時代  世界恐慌(1929〜) 満州事変(1931)

《参考文献》
 水野忠夫ロシア・アヴァンギャルド 未完の芸術革命』(PARCO出版
 木村靖二・柴宜弘・長沼秀世『世界大戦と現代文化の開幕』(中央公論社版世界の歴史26)