近世 ラテンアメリカ 【コルテスとマリンチェ】

■1519年、スペイン人コルテスはメキシコ湾に侵入し上陸した。高原部に入り、トラスカラ(アステカ帝国の支配に抵抗し独立を維持していた都市国家)の部隊と戦った。コルテス側は兵500人(うち騎兵15)であったが、数万のトラスカラ部隊を圧倒した。鉄製武器・銃火器と騎兵を、アメリカ先住民は知らなかったのである。トラスカラは和を結び、ここにアステカ帝国を打倒するための同盟が成立した。15世紀から征服活動を展開し領域を拡大してきたアステカ帝国は、内外に多くの敵を抱えていたのである。

 一度はアステカ軍の前に撤退を強いられたコルテスであったが、1521年、アステカ帝国の首都テノチティトランを攻略し占領した。この時のコルテスの兵は900人(うち騎兵86)であったが、トラスカラ以外にもトトナカ人などがコルテスに協力した。また、この時、天然痘の流行がアステカ人を襲っていた。スペイン人が持ち込んだ病原菌に対する抗体を、アメリカ先住民は持っていなかったのである。

 これらの出来事の中で、ひときわ目を引く女性がいる。コルテスの通訳であり愛人だった、先住民のマリンチェ(1502頃〜29)である。マリンチェは裕福な家に生まれたものの、父の死後再婚した母に疎まれ、奴隷として売られた。タバスコ地方の首長からコルテスに献上された女奴隷20人の中に、マリンチェがいたのである。アステカ語・マヤ語のほかにスペイン語をも身につけたマリンチェは、通訳としてコルテスの征服活動に貢献することになったのであった。多分諜報活動にも活躍しただろう。マリンチェはコルテスの子を産んだが、やがてコルテスの部下と結婚させられた後、病死した。

 「征服はまた、歴史的な意味においても、インディオ女性の肉体そのものに対しても、暴行であった。(中略)マリンチェは、スペイン人に魅了され、犯され、あるいは誘惑されたインディオ女性を代表する人物となった。」(オクタビオ・パス

 スペイン人の支配下におかれたという歴史の中で、またスペイン人と先住民の混血であるメスティーソが6割を占める中で、メキシコ人が自分たちを「マリンチェの子」と自虐気味に言うことがあるという。マリンチェは裏切り者だったのか? それともメキシコの歴史に新たな1ページを開いた女性だったのか? 
 
 「現在のメキシコ人の想像力と感性の中に、コルテスとマリンチェが奇妙に残存していることは、彼らが歴史上の人物以上のものであることを示している。彼らは、我々がまだ解決していない内なる葛藤の象徴である。」(オクタビオ・パス

 マリンチェは、過酷な運命を引き受け、16世紀前半の中央アメリカを懸命に生き抜いた。

《参考文献》
 高橋均・網野徹哉『ラテンアメリカ文明の興亡』(中央公論社版世界の歴史18)
 伊藤滋子「歴史のなかの女たち・マリンチェ」(www.latin-america.jp/archives/itou1376.pdf)
 オクタビオ・パス『孤独の迷宮』(高山智博・熊谷明子訳、法政大学出版局

※関連ページ ➡ 【メキシコ壁画運動】