近世 東アジア 【王安石の情熱】
★新法で有名な、北宋の政治家・王安石。改革を開始する約10年前皇帝・仁宗に提出した「万言書」は、古来名文と言われてきた(王安石は唐宋八大家に数えられる)。そこには、37歳の官僚の、改革へのまっすぐな情熱が表れていた。「これが1000年前の文章か」「現在の日本のことを言っているのではないか」と思われるような部分さえ見られる。宮崎市定訳でその一部を紹介する。
「考えてみると、今の学校教育は人材を育成するどころか、人間を苦しめて破壊し、人才を人才でなくしてしまうものだ。」
「現在は、礼をもって生活することが出来ぬ状態にある。富者はますます貪欲になってとめどがなく、貧乏人も無理してまでその不足を追求しようとする。」
「現今、公卿大夫の位にある大官たちは、誰も天子のために遠い将来を見渡し、王朝のために永遠の計を立てようとする者がないのは、そもそも何故であろうか。」
北宋ができて約1世紀、「清明上河図」に描かれたような経済発展の中で、同じ身分・職業のなかでも格差が広がっていた。「清明上河図」にも、行き倒れ同然の人が、さりげなく描かれているという。また新法が出される直前、国家財政は赤字に転落していた。
1069年、22歳の皇帝・神宗の下で、王安石の改革が始まる。しかし、官僚・大地主・大商人の特権を抑制し、中小の自作農・商工業者を育成しながら財政再建を図ろうとしたため、特権層(旧法党)から猛反発を受けた。政争は常態化した。1076年、王安石は辞職し、故郷の江南へ退くことになる。まもなく宰相となって新法を廃止したのは、旧法党の司馬光であった。
南宋の時代、政治家・王安石の評価は下がり、朱熹(朱子)も宋王朝を弱体化させたとして非難した。王安石が改革者として再評価されたのは、20世紀初頭、梁啓超によって「王安石伝」が書かれてからであるという。
※同時代 セルジューク朝のバグダード入城(1055) ノルマン=コンクェスト(1066) カノッサの屈辱(1077)
《参考文献》
宮崎市定『中国政治論集 王安石から毛沢東まで』(中公文庫)
伊原弘・梅村坦『宋と中央ユーラシア』(中央公論社版世界の歴史7)