古代 東アジア 【秦・前漢を苦しめた匈奴】

匈奴は、前3世紀から、ユーラシア草原東部で強勢を誇った騎馬遊牧民。また、その国家を指す。最初の騎馬遊牧国家スキタイ(黒海北岸、ヘロドトスが『歴史』で記述した)の影響を受けた。モンゴル語トルコ語の元になった言語を使っていたという。原音は「ヒュンヌ」(人の意)に近い。それを、中国で匈奴と漢訳した。
 戦国時代の趙や秦・前漢と争った。また西方では、月氏と争った。前200年頃の冒頓単于の時が最盛期で、前漢の高祖の軍を破った。高祖は、毎年多額の絹・酒・米を貢納する平和条約を結ばざるを得なかった(北宋契丹の澶淵の盟の1200年前の出来事!)。北方の大勢力匈奴の動静は、前漢にとって一大関心事だった。前漢武帝匈奴を討つためさまざな策をとったことは有名である。司馬遷は、『史記匈奴列伝で、蛮族視することなく、その活動・風俗を記述した。その内容は、ヘロドトスのスキタイについての記述とほぼ同じであるという。なお、遊牧国家と呼んでいるが、近代国民国家の目で見ると間違ってしまう。スキタイも匈奴も部族の連合体であり、諸部族が連合するのは軍事行動の場合だけであった。
 前1世紀半ばに東西に分裂した。。西匈奴はタラス川付近で他の部族と混じり合い、独立性を失った。モンゴリアの東匈奴は、後1世紀半ばに南北に分裂した。3〜5世紀の五胡の一つの匈奴は、この南匈奴のことである。一方北匈奴は西(カザフスタン)に移ったが、やがて衰退した。4世紀後半ヨーロッパに侵入し、ゲルマン民族移動のきっかけをつくったフン(Hun)は、北匈奴の一部と言われる。(「ヒュン(ヌ)」と「フン」の音の共通性から、18世紀以来ヨーロッパの学界で論争となった。)

《参考文献》
 山田信夫『草原とオアシス』(ビジュアル版・世界の歴史10[講談社])
 司馬遼太郎『草原の記』(新潮社)