世界史ミニ授業【中国史における都(その1)】

★今日は課外授業なので、中国史の都について、まとめてやってみますね。

 まず、古代から中世では、都の場所は二つの地方に限定されます。中世っていうのは、魏晋南北朝から唐までね。簡単な地図を書くと[板書:黄河の流れとそれに合流する渭水、…大丈夫かな。これが黄河ね、長江と違って流れがダイナミックだね。それで、ここの、流れがほとんど直角になっているところに注意して。ここからすぐ東のところが黄河文明の頃からの中心地で[板書:円を書き、中原]中原と呼ばれた。これが一つ目の地方。仰韶の遺跡もここだったよ。「中原に鹿を追う」って漢文で習った? その中心が洛邑、洛陽だね。[板書:洛陽]東周、後漢、魏、西晋の都。あっ、北魏の後半もね。[板書:東周、後漢、魏、西晋北魏後半の都]

 次に直角のところに合流してる川があるね、これが渭水。ここが盆地になってる。[板書:円を書き、渭水盆地]渭水盆地とその周辺を「関中」っていう場合もある。渭水盆地が二つ目の地方で、ここの都もすごいんだ。西周の鎬京、前漢長安、隋の大興城、唐の長安[板書:西周の鎬京、前漢長安、隋の大興城、唐の長安えーと、一つ足りないの、わかる? (生徒たち、考えている。)重要な王朝、書いてないね。(ある生徒「秦の咸陽」)そうだね、すばらしい。[板書:秦の咸陽]これらは全部、渭水盆地の都だよ。

 ここまでをまとめると、洛陽を中心とした中原と渭水盆地、この二つが政治的・経済的・軍事的に重要だったんだね。黄河の洪水の影響が少なくて、先史から開発が進んだ。どちらも畑作地帯ね。水田はここはないからね、注意して。古代から中世の中心は、中国全体から言うと、北西部だった。なお、北方の騎馬遊牧民との関係が重要だったこと、忘れないで。あと、前漢からは、西方のオアシス世界との関係ね。中国史の最初に書いた図、覚えてる? あれ大事だよ。[農耕民の世界と遊牧民の世界、狩猟民の世界、オアシス世界を図解してある。]

 今度は、長江下流域に目を移すよ。[板書:長江の流れ]ここも、黄河文明と同じ時期から長江文明があって、稲作の遺跡があったね、覚えてる? (数人の生徒、「河姆渡遺跡」)そうだね。この下流域は江南とも言われるようになるんだけど、しばらくは政治・経済の中心にはなんないんだ。政治的に少し重要になってくるのは、三国時代の呉の時から。[板書:呉の建業]その後西晋が滅んで、一族がここに移ってくる。東晋ね。都は建康、建業から名前が変わった。[板書:東晋南朝の建康]ここから、江南が重要になった。北の五胡や北朝との対抗関係で、重要になったんだ。また、人口も増えて、少しずつ水田の開発も進んだ。だから、この東晋は、ものすごく大切。目立たないかも知れないけど、100年も続いたからね。華北の貴族文化が江南に移ったから、文化でも重要な人たちが出てくる。

 だけど、隋が南朝の陳を滅ぼして中国を統一すると、都はまた渭水盆地に移った。それで、唐まで続くわけだね。隋も唐も、北朝系の王朝だからね、やっぱり都は北西部に置いた。また、オアシスの道の交易が盛んだったからね。だけど、江南の重要性は、もう消えることはないんだ。渭水盆地や中原の開発は、もう限度に達していた。華北は、経済的に江南と結びつかなければならない。だから、隋は大運河を造ったんだね。大運河を完成させたのは、誰? (生徒たち「煬帝」)そうだね。[板書:経済的に重要な江南と華北を結んだ大運河]

 そして、10世紀初めに唐が滅ぶ。[板書:10世紀初め(907)、唐滅亡]これ、ものすごく重要。これで中国の貴族社会は終わったし、東アジア・東南アジア全体で、大きな影響があったからね。10世紀初めっていうの、しっかり押さえて。唐が滅亡すると、もう基本的には、都は渭水盆地にも洛陽にも置かれなかった。中国の重心が、大運河地帯や江南に移っていったんだ。そして一方、北の別な都市が重要になってくる。

【中国史における都(その2)】 、授業観については 【授業を考える(ミニ授業の公開にあたって)】