世界史ミニ授業【中国史における都(その2)】

★唐が滅んだ後の北宋南宋の都について見ますね。北宋の都は? (生徒たち「開封」)そうだね。[板書:北宋開封]五代のうち4つの王朝が開封に都をおいて、北宋もそれを引き継いだかたちだ。じゃ、南宋の都は? (生徒たち、一瞬沈黙。ある生徒「臨安」)そうだね。[板書:南宋の臨安(杭州)]南宋の方が覚えづらいかな。この前の東晋もそうなんだけど、江南、長江下流域をもっと意識しようね。華南の広州もだけど。中国史の始まりを華北中心に習うから、どうしてもそういう中国史の見方になっちゃうのかな。教える私の方にも、潜在的にそういう見方があるかも知れないね。注意していきます。[板書:…江南]

 この開封と臨安だけど、どちらも経済的に重要な都市なんだね。教科書の隋のところに出てる大運河の地図、出してみて。…はい、開いた? それでね、書き込んじゃって。汴州が開封杭州が臨安ね。地図をよーく見てね、開封は大運河と黄河が交わるところにある。杭州=臨安は、大運河の終点にある。大丈夫? わかった? どちらも、物資の集散地なんだ。流通センターだね。開封は洛陽の東にあるのもわかるね、中原にも近い。そして、永済渠で燕の方にも出て行ける。なかなかいい場所だね。燕てわかる? 今の北京のあたり。臨安は、まさに宋代経済発展の中心地・江南の都市だよ。まとめるよ、北宋南宋では、都は、大運河の流通センター、経済都市におかれた。[板書:大運河の経済都市]南宋は、中国史全体では影が薄いけど、150年も続いたのは、江南を押さえていたからだよ。

 それで、注意してほしいのは、さっきの燕ね。キタイ=遼が燕雲十六州を獲得するね。そして、金が淮河まで支配した時代になると、どうなるか? じゃ、今度は金と南宋の地図出して。はい、…いいかな。見るとね、燕京ってあるね、それが現在の北京だよ。現・北京って書き込んじゃって。金は、本拠地は中国東北部で、都は会寧だけど、燕京を華北支配の都とした。それを踏襲したのが、元なんだ。元の都は? (生徒たち「大都!」)そうだね。それじゃ、まとめるよ、女真とかモンゴルの北方勢力は、自分たちの本拠地に近い、現在の北京に都をおいた。[板書:女真・モンゴル、現在の北京]なお、開封はね、元末期に黄河の大洪水で埋まっちゃったんだ。後で、復興はしたんだけど。

 次は、明です。漢民族王朝の明も、最初は江南の南京、昔は何て言ったんだっけ? 東晋から南朝の頃。(何人かの生徒「建康」)そう、昔の建康ね、ここに都をおいたんだけど、北方勢力との対抗上、北京に遷都した。だれの時だっけ? (生徒たち「永楽帝」)そうだね、比較的最近やったところだね。そして、清は、もちろん女真の王朝だから、都は北京。北京に入った時の皇帝は誰だっけ? (生徒たち、沈黙。)順治帝だよ、忘れないで。ホンタイジじゃないよ、康煕帝でもないからね。…はい、そして現在も、首都は北京。でも、江南の経済的重要性は、ずっと変わんないよ。もう一つ、北京に対抗する勢力が出てくると、南京を中心にすることが多いから注意して。これは面白いね、現代史でもそうだから。現代史では、上海の比重も大きくなるけど。

 あとね、北京が長安や洛陽と違うのは、どういう点だと思う? (生徒たち、戸惑う。)難しく考えないで。地理的に、単純に考えて。[板書:北京は(   )に近い]はい、どうかな?(ある生徒「北に近い」、生徒たちの笑い)えっ? 北の方にはあるね。モンゴルや女真の本拠地に近いんだね。ちょっときき方悪かったかな? 清のところの地図見て。教科書の最後の世界地図でもいいよ。単純に考えて。(ある生徒「海に近い」)そうなんだ、北京は海に近い! [板書:( 海 )]長安や洛陽とは全然違う。むしろ、南京と同じだ。これは、案外大事なんだ。北京は、天津の港からすぐだからね。江南から天津・北京への海運は、元代から盛んになったんだって。

 海から中国史を考えてみるのも、面白いかもね。私も、南の広州から北の旅順まで、もう一度よく勉強してみようと思ってる。「中国史と海」なんていう授業、できっかなあ。…時間、ないね。

 じゃ、以上で、「中国史の都」については終わります。今までよりは、理解できたかなと思います。

中国史における都(その1)】 、授業観については 【授業を考える(ミニ授業の公開にあたって)】