復習プリントから考える世界史Bの授業・教科書(古代)【エジプト史におけるヒクソス】

《復習プリントから(基本事項を確認し、流れをつかもう)》 *はやや難

●中王国時代(前21世紀〜前18世紀)には、都はテーベに移り、官僚制が発達した。またテーベの守護神*( 1 )が、太陽神と一体化し信仰された。やがて中王国は滅び、前17世紀、シリア方面からデルタ地帯に移住していた( 2 )に政権を奪われた。( 2 )をはじめ、小アジアの( 3 )王国やメソポタミア北部の*( 4 )王国の出現など、前17世紀〜前16世紀のオリエントは変動期を迎えていた。

【解答】
 1 アメン(アモン)   2 ヒクソス   3 ヒッタイト   4 ミタンニ


《授業との関連》

★中王国時代における官僚制の発達に、簡単に触れています。官僚制は新王国時代にいっそう整備されましたが、このことはアメンホテプ4世の政策を考える上でも重要になります。

★ヒクソスを、「中王国末期に、シリア方面から武力を持って侵入しエジプトを征服した民族」とはとらえていません。「デルタ地帯に移動・定住し、おそらくは傭兵として力を蓄えていた民族」として、教えています。また、他の見方も紹介しながら、「中王国滅亡→ヒクソスの支配」という理解のしかたを提示しています。

★ヒクソスの支配がエジプト史における最初の異民族支配であったことに留意させています。相対的に独自の歴史を歩んできたエジプトが、この時点からオリエント史全体の中に組み込まれたことを理解してもらうためです。復習プリントの「小アジアの」以下の部分は、このことを述べています。また、このように理解することで、新王国時代以降の国際関係がわかりやすくなります。


《教科書との関連》

◆上記のようなヒクソスの位置づけは、10年以上前から述べられてきました。(『岩波講座・世界歴史2』、中央公論社版『世界の歴史1』、山川『新版世界各国史8』など)しかし、そのような研究成果が新課程用教科書にあまり反映されていないのは、不思議です。論争があるのでしょうか?

◆多くの新課程用教科書の記述は、旧来のままです。

 ○「その末期にシリアから遊牧民ヒクソスが侵入し」<山川(詳説)>
 ○「中王国時代の末にシリアの諸民族の混成集団であるヒクソスが馬と戦車をもって侵入し」<東書>
 ○「その末期に遊牧民のヒクソス人がシリアから侵入し」<山川(新)>

◆<実教>の記述は、慎重に「侵入」という表現を避けています。

 ○「中王国時代末期には、シリア・パレスチナ地域出身の集団ヒクソスが、ナイル=デルタを支配し、馬と戦車をエジプトにもたらした。」

◆明確に新しい研究成果に基づいた記述をしているのは、<帝国>です。

 ○「中王国が衰退すると、馬と戦車(戦闘用二輪馬車)で武装しアジアから移住していたヒクソスがデルタ地帯に王朝をたてた。」


※復習プリントの基本的考え方については → 【復習プリントと世界史Bの授業づくり】