復習プリントから考える世界史Bの授業・教科書(近世)【ユグノー戦争】
《復習プリントから(基本事項を確認し、流れをつかもう)》 *はやや難
●1562年、シャルル9世と母后( ア )の治世下、( イ )派新教徒(ユグノー)と旧教徒との間で内乱(ユグノー戦争)が始まり、1572年の( ウ )と呼ばれる事件を機に、両派の対立は激化した。1589年( エ )朝が断絶したため、ユグノーの( オ )が即位し、ブルボン朝をひらいた。彼は旧教に改宗した上で、1598年( カ )を発してユグノーの信仰の自由を認め、内乱を終結させた。ユグノー戦争中、( キ )は『エセー』で両派の対立を憂え、*( ク )は『国家論』で主権概念を明確にして、王権の確立による国家統一を訴えた。
《授業との関連》
★ユグノー戦争の経過は興味深いのですが、あまり深入りせず、フランスでは宗教戦争のただなかから絶対王政へと向かっていったことをメインに話しています。
★この観点から、ナヴァル王アンリ(のちのアンリ4世)と交流のあったモンテーニュとポリティーク派(宗派対立より国家統一を優先したグループ)の理論家ボダンを取り上げています。
★モンテーニュについてはルネサンスでも触れますが、「16世紀後半のフランスの思想家だよ、後でまた出てくるからね」と話しておきます。ユグノー戦争の授業では、内乱を批判した『エセー』の一節も、プリントして配付しています。(モンテーニュに限らず、思想家・芸術家などをできるだけ時代の動きの中に位置づけて取り上げるよう、努めています。)
★高校の世界史で「ポリティーク派」という語を出す必要はないと思いますが、私の場合は参考程度に触れています。
《教科書との関連》
◆モンテーニュがユグノー戦争の時代に生きたことを伝えているのは、<実教>だけです。
「宗教戦争の時代に生きて『随想録』で寛容を説いた人文主義者モンテーニュ」
◆モンテーニュについては、<東書>は「『随想録』で人間の内面生活を探求した」とのみ書いています。<山川(詳説)>は、「ルネサンス期の文芸と美術」という一覧の中に、かろうじて記しています。<山川(新)>と帝国では、全く記述がありません。[現在、『エセー』の新訳も進行中なのですが、これらの扱いは残念なことです。]
◆ボダン(ボーダン)については、<東書>が「近世ヨーロッパの社会と文化」の本文で明解に記述し、注でもていねいに解説しています。
「ユグノー戦争のさなか、ボダンは、国王の権力を国家主権の概念を用いて擁護した。」(本文)
◆<山川(詳説)>は、文化のところではなく、ユグノー戦争のページにきちんと記しています。
「思想家ボーダンをはじめ、宗教問題よりも国家の統一を優先しようとする人々が増えていった。」
◆<山川(新)>は、ユグノー戦争のところで、ボダンやポリティーク派の名は出さずに、次のように記しています。
「信仰よりも平和と国家理性を尊重する立場が主流となり」
全体としては詳しい記述がなされている教科書なので、少なくとも注でボダンの名を記してほしかったと思います。モンテーニュも、取り上げるべきでしょう。
◆<実教>と<帝国>に、ボダンの記述はありません。
※関連のテーマ史 → 【ユグノー戦争とモンテーニュ】
※復習プリントの基本的考えかたについては 【復習プリントと世界史Bの授業づくり】