復習プリントから考える世界史Bの授業・教科書(中世)【唐後期の政治と社会】

《復習プリントから(基本事項を確認し、流れをつかもう)》

●755年、3節度使を兼任したソグド系の( ア )とその部下の史思明が反乱を起こし[( イ )の乱]、( ウ )の援軍を得てようやく鎮圧された。乱の後、内地にもおかれるようになった節度使は、各地で行政・財政権を蚕食しながら( エ )[軍閥]として割拠し、中央政府と抗争を続けた。また、この乱の直前、唐は( オ )の戦いでアッバース朝に敗れ、中央アジアの領土を失っていった。

●唐は、上記の乱の最中に( カ )の専売制を実施した。( カ )には原価の10倍以上の税がかけられ、以後政府の重要な収入源となった。また、780年、崩壊した( キ )制に代わり、宰相( ク )の提言で両税法が施行された。農民の移動と( ケ )所有を前提としたもので、現住地の土地と財産に応じて、夏と秋の2回課税され、銭納が原則であった。

【解答】
 ア 安禄山   イ 安史   ウ ウイグル   エ 藩鎮   オ タラス河畔   カ 塩   キ 租庸調   ク 楊炎   ケ 大土地


《授業との関連》

★私は、長い間、唐後期については簡単にしか触れてきませんでした。しかし、安史の乱の鎮圧(763)後、黄巣の乱勃発(875)まで100年余りあり、この時期の取り上げ方が重要だと考えるようになりました。それは、「なぜ唐は安史の乱をきっかけに滅亡しなかったのか」という疑問に答えることでもあります。

★両税法だけでなく、塩の専売制の実施に触れることが大切です。(飲茶の習慣の広がりにともない茶税もかけられましたが、授業ではごく簡単に触れるにとどめています。)唐は、租庸調制の崩壊による財政難を乗り切るため、逆進性の顕著な特定消費税に頼ったと言えます。塩の専売は密売業者を生み、黄巣の乱につながっていきますが、塩税収入は歳入の5割を占めるまでになりました。

★塩税収入が傭兵(40万人以上、軍馬は6万頭以上)を維持する膨大な経費をまかなっていたことを理解しなければなりません。各節度使は、数万人の傭兵を独自の財源で維持することはできませんでした。ここに、藩鎮がすぐに中央政府から自立できない理由もあったのです。

★なお、タラス河畔の戦い後、吐蕃の勢力伸長もあり、中央アジアの領土を失ったことに触れるのは、大切です。教科書や資料集の地図は唐の最大領域を中心に作成されているため、唐の領土縮小は理解しづらくなっています。「9世紀の東アジア」の地図がほしいところです。(北宋期の領域の理解にもつながります。)西域を失ったため、オアシス・ルートに代わって南海貿易がいっそう活況を呈したのでした。


《教科書との関連》

◆塩の専売制について本文で明確に述べているのは<実教>で、注にも説明があります。<山川(詳説)>、<山川(新)>、<帝国>も本文で触れていますが、あまり目立ちません。教える側が意識して取り上げる必要があるでしょう。<東書>には全く記述がありません。

◆唐後期の支配体制の特質について詳しく述べているのは、<帝国>です。ウイグルとの関係や「江南地方からの収入」についても触れており、5冊の教科書の中で最もすぐれています。