♥世界史ブックガイド[文化と社会]④【多和田葉子『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』】

 ドイツ語と日本語の両方で小説を書いている驚くべき作家の、言語に関するエッセイ集です。深く鋭い、そして不思議にやわらかな文章は、私たちを複数言語・複数文化の最前線に連れて行ってくれます。

 「エクソフォニー」とは、「広い意味で、母語の外に出た状態一般」を指しています。

 目次には世界各地の都市が並んでいますが、各都市で触発されたことをもとにして、言語についての考察が展開されています。要約することはなかなか難しいので、二つの文章を紹介します。

 「現代では、一人の人間というのは、複数の言語がお互いに変形を強いながら共存している場所であり、その共存と歪みそのものを無くそうとすることには意味がない。」(ハンブルク

 『日本人の話すドイツ語に日本語のリズムがあるのと同様、スラブ語系の人たち独特のドイツ語、アメリカ人の話すドイツ語など、それぞれ「なまり」が違う。(中略)なまりは個の記憶なのである。』(バルセロナ

 多和田葉子の考察は世界各地の言語に及んでいますが、常に日本語へと立ち戻っています。世阿弥の「花」と「美」についてのコメントや『奥の細道』冒頭部分のドイツ語訳の紹介などが、随所に散りばめられています。しかし、そこにあるのは、懐古的な「日本の美の再発見」ではありません。「美」についての考察を遊牧民トルコ人の食料品店でまとめているところに、彼女のすばらしさがあります。

 巻末の解説でリービ英雄がたいへん的確に述べています。「まるで散文詩の中から批評がにじみ出るような、多和田葉子の文章は、現代の日本語の一つの奇跡である。」

岩波現代文庫(2012年、単行本は2003年)、860円】

※関連ページ ➡ 世界史ブックガイド⑫【ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』】