♥世界史ブックガイド[文化と社会]⑦【オリガ・ホメンコ『ウクライナから愛をこめて』】

 ウクライナ人のオリガさんが、日本語で書いた美しい本です。

 出版されたのは、ロシアによるクリミア併合(2014年3月18日)の1ヵ月半前でした。その後のウクライナの状況を思うと、痛みなしには読むことができない本でもあります。

  「母親とおばあちゃんのところに行く途中にある麦畑の野原。そこには花がたくさん咲いていた覚えがある。それが私の中の故郷ウクライナのイメージ。」 

 ウクライナの自然やキエフの街並み、家族や友人・知人の思い出が、温かな筆致で綴られています。どこか懐かしさを感じさせるような、ウクライナの人々の日常。そして、その日常に隠された深い傷についても、オリガさんは書いています。たとえば、マリーナという83歳のおばあさんの幼い頃の体験。

  「1944年、赤軍(ロシア軍)が村に戻ってきたとき、彼女の両親は赤軍に殺された。[中略]彼女の父親はドイツ語ができたので、占領軍(ドイツ軍)の事務所で秘書として働いていた。そこへ赤軍が入って来たから、家族全員が殺されたのだった。敵に協力していたという理由で。小柄なマリーナはまだ子どもだったので、隠れていて助かった。隠れていた所から家族の遺体が墓に運ばれるところも見ていた。声を出さないで泣いた。そして、その後、自分の家族のことはいっさい話さなかった。[中略]話せないことが多いから、かわりに微笑んでいた。なんとかして生き延びる必要があったから、微笑んでいた。」

 歴史は、しばしばウクライナの人々の人生を、残酷に引き裂いてきました。それでもなお人々は、勇気を持って生きてきたのでした。そのような人々を、オリガさんは心をこめて描いています。

 本のちょうど中程にあるキエフ案内を読むと、まるでキエフの街を歩いているような気持ちになります。キエフ公国の時代からのキエフウクライナの歴史も、詳しく述べられています。楽しくも切ない、ちょっぴりロマンティックな「キエフ歴史散歩」になっています。ウラディミル1世(本書の表記は「聖ウラジーミル」)の祖母オリガ女帝が、キエフ公国で最も早くキリスト教ギリシア正教)に改宗した人物であることを、初めて知りました。1000年余り前のことです。

 家庭イコンや「ロシア語の子守唄」などの話を通して、厳しかったソ連時代のことが語られています。言論の自由や信教の自由が奪われ、ロシア語が強制されたのでした。1991年のソ連崩壊による独立は、ウクライナにとって極めて重要な出来事だったのです。

 終章で述べられているのは、チェルノブイリ原発事故と福島原発事故です。二つの国を襲った、あまりにも辛い出来事。それでも、私たちは生きていかなければなりません。オリガさんは、日本に向けて優しいメッセージを送ってくれています。書名は、ここからとられました。

 すてきな装幀のこの本が、たくさんの人に読まれますように。

 そして、ウクライナに平穏な日々が戻りますように。

群像社、2014年1月、1200円]

※なお、ロシアのクリミア併合以降の状況について書かれた文章の中では、ロシアの作家リュドミラ・ウリツカヤの「クリミア情勢について」が出色です。[沼野恭子訳、「現代思想」2014年7月号(青土社)所収]