<問いからつくる世界史の授業>(近代)【ナポレオンの妃ジョゼフィーヌと博物学】
☆今回取り上げるのは、ナポレオン1世の妃だったジョゼフィーヌです。ダヴィドの巨大な絵画(「ナポレオンの戴冠式」)に描かれ、のち離婚されたジョゼフィーヌ。多分、授業ではマリ=アントワネットほどには取り上げられないことでしょう。しかし、彼女を取り上げることで、授業に意外な奥行きができると思います。
☆授業は<オリジナル問題+解説>で構成します。解説には発展的な内容も含めています。
★問題★ [解説は、◆がプラスα、■はさらにプラスαのレベル]
離婚した1809年から亡くなるまでの5年間、ジュゼフィーヌはパリ郊外のマルメゾン宮殿で暮らした。そこで、彼女がしていたことは?
① ダイヤモンドなど、世界各地の宝石の収集
② マリ=ルイーズに対抗した、舞踏会の開催
③ バラなど、世界各地の植物の収集
④ ショパンを招いた、ピアノ演奏会
※正解は、③です。
◆宮殿には高名な植物学者が招かれ、花壇にはたくさんのバラが植えられました。このことが意味するのは何でしょうか? このようなところにこそ歴史のおもしろさがあります。残念ながら詳述はできません。要点のみ述べます。
1 ジョゼフィーヌは、18世紀の啓蒙の時代に発展した博物学の中に身をおいていたのです。植物学で有名なリンネ(1707〜78)も、博物学者でした。そこから、人類を「ホモ・サピエンス」と命名することになったのです。
[ちなみに、日本語では博物学と訳していますが、英語では natural history です。なお、植物園を中心にパリ自然史博物館が設立されたのは、1793年でした。何とフランス革命中、しかもジャコバン政権の時代です。「理性の祭典」に見られるように、ジャコバン派もまた啓蒙主義と無縁ではありませんでした。]
2 博物学の発展の背景には、ヨーロッパ人の海外進出の拡大がありました。ヨーロッパ人の、非ヨーロッパ地域の植物・動物・鉱物への関心は、非常に強いものでした。グローバル化は、このような分野でも進んでいたのです。
■2と関連しますが、実は、ジョゼフィーヌはカリブ海のフランス領マルティニクの出身でした。植民地に赴いたフランス人の娘として生まれました。なお、マルティニクは現在もフランス領で(海外県)、20世紀後半のクレオール主義の中心となりました。
■マルメゾン宮殿ではバラの人工交配が行われ、たくさんの栽培品種が作出されました。ジョゼフィーヌは、「バラ栽培の革命」の中心にいたのです。マルメゾンのバラは画家ルドゥーテによって描かれ、見事な『バラ図譜』となって残りました。[◇これはプラスαのプラスαで、もう余談です。しかし本当は、単なる余談ではありません。最近、『植物からみるヨーロッパの歴史』が出版されたことから、ご想像ください。]
◆ジョゼフィーヌは1814年5月に亡くなりましたが、同年同月、ナポレオンはエルバ島へと配流されたのでした。歴史というのは、不思議なものです。
➡こんな考え方で書いていきます【<問いからつくる世界史の授業>について】