中世ヨーロッパの授業【ローマ・カトリックとギリシア正教の違い】
★ローマ・カトリックとギリシア正教の違い・対立[標準、半分はプラスα]
※板書またはプリントの内容です。
<ローマ・カトリック> <ギリシア正教>
1「ローマ教会に首位権」 1「コンスタンティノープルに首位権」
(「ローマには、ペテロの墓」) (「330年以来、帝国の首都だ」)
2「ローマ教皇が最高指導者」 2「ローマ教皇の指導権は認めない」
(ビザンツ皇帝とともに)
3ラテン語を使用 3ギリシア語を使用
(5世紀初め聖書をラテン語訳) (7世紀からビザンツ帝国の公用語)
4儀式の伴奏にオルガン使用 4儀式に楽器は使用せず
⇓
11世紀半ば(1054)、分裂[2つの文明圏に]
※簡潔な比較なのですが、よく見ると、各社の資料集などに載っている表とは異なっています。以下では、その意図について説明しておきます。
◆1・2は、それぞれの主張をわかりやすくまとめています。4は、かなり「味の違う」事項です。
◆1についてですが、ペテロはイエスの第一の弟子で、カトリックでは初代教皇と位置づけられていました。(聖ペテロのイタリア語形がサン・ピトロです。)
◆2については、誤解を招くため、「皇帝教皇主義」という語は出していません。
◆3については、ヒエロニムスによる聖書のラテン語訳に触れています。
◆「言語の違い=文化の違い」という認識が重要です。
◆4のオルガン使用は、9〜10世紀からと言われています。ラテン・キリスト教世界でのオルガン使用と俗語の歌の広まりは、西洋音楽の歴史を考える際、たいへん重要だと思います。(なお、初めは、歌の伴奏ではありませんでした。また、グレゴリオ聖歌と同様の単旋律・アカペラの聖歌は、ギリシア正教にもありました。)
◆聖像崇拝論争については、ここでは取り上げていません。教科書的には、「726年のレオン3世による聖像禁止令」が重要ですが、この禁止令にはビザンツ帝国内に強い反対運動があり、結局9世紀半ばに聖像崇拝が復活したからです。このことを、授業できちんと述べる必要があります。(なお、聖像崇拝復活に果たした女性の役割が注目されます。)
◆単なる宗派の違いというレベルにとどめないようにしたいものです。「2つのキリスト教文明圏の成立」という視点が大切です。ラテン・キリスト教世界とギリシア正教世界です。(なお、ラテン・キリスト教世界には東ヨーロッパの一部が含まれることも、極めて重要です。)