<問いからつくる世界史の授業[資料]>(近世)【デカルトが住んだ国】

★歴史は総合的なものです。本来豊かである文化史を単に暗記させるような授業は避けなければなりません。文化を時代全体の動きの中に位置づけることが大切ですが、今回はそのためのオリジナル問題です。

★「考える世界史」の近づけるため、資料を使った問題にしてあります。次の資料を、20年ほどプリントして使ってきました。デカルトの『方法序説』の一節です。(しばらくの間は、野田又夫訳を使っていました。)


問題☆[問1・標準、問2・プラスα]

 次の文章を読んで、あとの問いに答えよ。

 この国には、長く続いた戦争のおかげで、常備の軍隊は人びとが平和の果実をいっそう安心して享受できるためにだけ役立っている、と思えるような秩序ができている。ここでは、大勢の国民がひじょうに活動的で、他人の仕事に興味をもつより自分の仕事に気をくばっている。わたしはその群衆のなかで、きわめて繁華な都会にある便利さを何ひとつ欠くことなく、しかもできるかぎり人里離れた荒野にいるのと同じくらい、孤独で隠れた生活を送ることができたのだった。[『方法序説』より(谷川多佳子訳、岩波文庫)]

問1 筆者はだれか。

問2 文中の「この国」とは、どこを指しているか。なお、「長く続いた戦争」はスペインとの戦争のことである。

※正解
 1 デカルト
 2 オランダ
   (フランス生まれのデカルトは、長くオランダに住みました。)


◆この問題は、2つの方向で使うことができます。
 
 ① 17世紀のオランダの特徴を確認する。
 ② デカルトの生涯を知る。

◆通常は、①の使い方になると思います。ただ、17世紀のオランダを捉える際の力点のおき方で、授業内容は大分異なってくるでしょう。私の授業のベースになっている捉え方については、次のページをご覧ください。 ➡ 【17世紀はオランダの世紀】 「17世紀危機」と呼ばれる時代に、オランダが最盛期を迎えたことはたいへん重要です。

デカルトについて詳しく取り上げることは、世界史の授業ではできないと思います。しかし、デカルトもまた「17世紀危機」と呼ばれる時代に生きたことだけは、生徒たちに伝えておきたいものです。このこととと「われ思う、ゆえにわれあり」は、つながっていると思います。参考までに、いくつかの事実をあげておきます。

 ・デカルトは、1619年、勃発したばかりの三十年戦争に、旧教軍の一員として参加した。(23歳の時。翌年には軍籍を離脱。)
 ・1628年から1649年(亡くなる前の年)まで、オランダに住んだ。
 ・1633年、ガリレイの宗教裁判の報を聞いて、準備していた『世界論』(地動説を含んでいた)の出版をとりやめた。
 ・『方法序説』は、1637年、オランダで出版された。


こんな考え方で書いていきます【<問いからつくる世界史の授業>について】

デカルトについてさらに考えたい方は、次のページをご覧ください。 ➡ 【旅するデカルト】