♥世界史ブックガイド[文化と社会]⑨【坂部恵『ヨーロッパ精神史入門』】

★実は、「入門書」ではありません。講義調で書かれていますので多少読みやすくはなっているものの、かなり高度な内容です。カロリング・ルネサンスから現代までのヨーロッパ哲学・文学の根底を流れているものについて、縦横無尽に述べられています。ほとんどが「目から鱗」の内容ですが、私は半分も理解できていないと思います。

★たとえば、カロリング・ルネサンス期の哲学者エリウゲナについては初めて知りました。また、パース(普通プラグマティズム創始者と考えられています)が普遍論争における実在論を支持していたことは、驚きでした。そして、最後の章ではデリダが取り上げられて「入門書」は閉じられる、という具合です。

★200ページほどの中に、高度な、そしてアクチュアルな内容が詰まっていますので、とても全体を紹介することはできません。ただ、歴史の見方という点でも、注目すべきことが述べられています。クルティウスにならい、9世紀に始まる「ラテン中世」に近代の源を見ているのです。私たちの常識は、大きく揺さぶられることになります。デカルトについては触れられていませんが、多分、14世紀のオッカムの唯名論の延長上に位置づけられることになるのでしょう。

★著者は、9世紀の後の大きな切れ目を14世紀に見ています。この点も、大きな問題提起です。本書では「中世/近世」という時代区分は用いられていませんが、今まで世界史では(ヨーロッパ史では)、15世紀に大きな切れ目をおいてきました。14世紀に切れ目をおくという見方を、世界史の立場ではどう受けとめるべきなのでしょうか? 「それは哲学史からの見方でしょ」と言って片付く問題ではないように思えます。 

★若干、私見を述べます。14世紀に歴史の切れ目があるという見方をとれば、そして14せ世紀以降を近世と考えれば、ルネサンスの位置づけなどはすっきりします。ダンテはまさしく最初の近世人、ということになるでしょう。また、ウィクリフ、フスからルターへの流れも、連続的にとらえられることになるでしょう。一方私は、14世紀半ばのペスト大流行を、アジアを含めてもっと積極的に歴史の中に位置づけるべきではないか、と考えてきました。ユーラシア全体の変動と見られないかということです。そのように考えれば、モンゴル帝国に歴史の切れ目をみる見方との接点も、出てくるかも知れません。ともあれ、「古代末期」の問題を含め、旧来の時代区分にとらわれない見方が求められていることは確かです。

坂部恵[1936〜2009]は、カントの研究者として有名でした。しかし、本書や他の著作に端的に表れているように、彼の学問的営為は「哲学すること」そのものであったと思います。


坂部恵『ヨーロッパ精神史入門 カロリング・ルネサンスの残光』[岩波書店、1997]