<問いからつくる世界史・歴史総合の授業>(近代)【ペリー来航①[軍人ペリー]】

★1853年(嘉永六年)7月(陰暦6月)のペリー来航と翌年2月(陰暦1月)の再来航については、授業の中でできるだけ時間を割く努力を続けてきました。日本の歴史にとって重要であるばかりでなく、アメリカの東アジア〜太平洋進出という点でも重要だからです。また、現在まで続く日米関係の始まりという点でも、きわめて重要な出来事でした。

★「ペリー来航」は、世界史や日本史という枠組みを取り去って取り上げるべきテーマでしょう。2022年度からの新必修科目「歴史総合」の授業においても、大切なテーマとして取り上げていってほしいものです。生徒たちを惹きつけるエピソードも、豊富にあります。

★進度を度外視して時間を割いてきましたので、紹介したいオリジナル問題はたくさんあるのですが、とりあえずその中から3問を載せることにしました。「ペリー来航」を多角的に考えるための問題です。また、次回以降紹介する問題2と問題3は、いわゆる、世界史と日本史の融合問題です。

★授業は<問題+解説(◆の部分)>で構成します。アメリカ合衆国の歴史を振り返ることができるように作問してあります。


問題1☆ [プラスα]

 ペリーは、日本に来る数年前、ある戦争に従軍していた。その戦争を次の①〜④のうちから一つ選べ。

 ① アメリカ独立戦争
 ② アメリカ=メキシコ戦争
 ③ クリミア戦争
 ④ 南北戦争

 ※正解は、②です。


◆ペリーは海軍の軍人として、アメリカ=メキシコ戦争(1846〜48)に参加していました。メキシコからのカリフォルニア獲得(オレゴンに続く太平洋岸進出)に関わり、その後東インド隊司令長官に任命されて、日本にやって来たのです。アメリカ合衆国が、大西洋岸から太平洋岸までの大陸国家になった直後のことでした。ただペリーたちは、太平洋を横断して来たわけではありません。(ペリー艦隊の日本までの航路については、問題2で触れています。)

◆1853年浦賀に来航した2隻の蒸気軍艦は、もともとはメキシコとの戦争のために建造されたものでした。しかも、当時の最新鋭かつ最大の軍艦だったのです。(イギリスが保有していた軍艦を上回っていたそうです。授業では、蒸気船がアメリカで発明されたことを思い出させています。)

◆なお、出来事の年代の理解を確かめる問題ともなっています。選択肢の①・③・④については、年代を含め簡単に確認します。


<問いからつくる世界史の授業>【ペリー来航②(浦賀に来航する前)】

こんな考え方で書いていきます【<問いからつくる世界史の授業>について】