<問いからつくる世界史・歴史総合の授業>(近代)【ペリー来航②[浦賀に来航する前]】

★ペリー来航に関するオリジナル問題の2問目です。なお前回の問題1から次回の問題3は、時系列に沿って並べています。

★授業は<問題+解説(◆の部分)>で構成します。生徒たちの状況によっては、浦賀が現在の神奈川県横須賀市であることを確認した方がいいかも知れません。大統領の国書を持って江戸近くにやって来たことが重要です。


問題2☆ [プラスα]

 ペリー艦隊は、浦賀沖にやって来る前、あるところに立ち寄っていた。その港を、次の①〜④のうちから一つ選べ。

 ① 箱館
 ② 佐渡
 ③ 長崎
 ④ 那覇

 ※正解は、④です。


◆ペリー一行は小笠原諸島にも行っていますが、那覇に立ち寄ったことについては、特に強調しています。ペリーは、日米和親条約締結(1854)の直後、那覇でも米琉修好条約を結んでいるのです。

◆ペリーは、この時点で、琉球の戦略的(地政学的)重要性を認識しており、琉球占領計画さえ持っていました。アメリカ政府の方針が異なっていたため(自衛以外の武力行使禁止)、この計画は実行されませんでした。

◆太平洋戦争末期から今日に至るまでの沖縄の状況を見る時、ペリーの琉球認識については、深く考えさせられます。

◆ペリー艦隊の航路を描いた地図を配布したほうがよいと思います。ペリー艦隊が太平洋を航海してきたのではないこと、太平天国の乱のさなかの中国に寄って日本に来たこと等も、確認しておく必要があるからです。ペリー艦隊の航路を見るとわかりますが、大西洋からイギリスの勢力圏の港に立ち寄って、東アジアまで来ていることがわかります。アメリカ合衆国は、まだ独自の補給路は確保できていなかったのです。


<問いからつくる世界史の授業>【ペリー来航③(アメリカ大統領の国書)】

こんな考え方で書いていきます【<問いからつくる世界史の授業>について】