<問いからつくる世界史・歴史総合の授業>(近代〜現代)【明治以降の日本人移民 −ハワイ・カリフォルニア・ブラジル−】
★現在の歴史教育においては、世界史においても日本史においても、「世界史の中の日本」という視点が欠かせないものとなっています。今回は、「世界史の中の日本」を、国境を越えた人の移動から考える授業です。
★18世紀末以降から現代までの「国民国家」の時代にも、国境を越えた人の移動は続いてきました。この歴史を、通常の授業では、19世紀末から20世紀初めの「アメリカ合衆国へのヨーロッパからの移民」に焦点をあてて取り上げます。また、アジアからの移民についても触れるでしょう。
★しかし、もう一歩踏み込みたいものです。というのは、国境を越えた人の移動は、日本においてもあったからです。グローバル化が進む現在だからこそ、これらを世界史の授業の中にきちんと位置づけて、生徒たちに伝えなければなりません。授業は<オリジナル問題+解説(◆の部分)>で構成します。
☆問題☆ [プラスα]
アメリカ合衆国への移民が増加していた19世紀末から20世紀初め、移民として海外に渡る日本人もいた。1868年(明治元年)がその始まりであるが、それはどこへの移民だったか。次の①〜④のうちから一つ選べ。
① 台湾
② ブラジル
③ 南洋諸島
④ ハワイ
※正解は、④のハワイです。
※選択肢を提示せずに、生徒たちに話し合わせてもいいと思います。
◇生徒たちは、ハワイとブラジルで迷うかも知れません。台湾と南洋諸島は、後の授業の伏線として選択肢に入れてあります。
◆現在ハワイには20数万人の日系人がいますが、その歴史は1868年(明治元年)に始まりました。148人の移民が横浜を出港しましたが、明治維新という大変動の中にあって、半ば不法出国のような状況だったといいます(仲介したのは、アメリカ人貿易商でした)。これらの人びとは「元年者」と呼ばれましたが、1885年にはハワイ王国と明治政府の間に条約が結ばれ、「官約移民」となりました。最後の女王リリウオカラニの時代の少し前にあたりますが、王国滅亡(1893年)後は個人契約に変わりました。
◆日本人のハワイ移民は、ハワイ王国末期からアメリカ合衆国によるハワイ併合(1898年)の時期に重なっていたことになります。[私の授業の場合、ハワイ王国の滅亡については、通常よりも時間を割いています。「アロハ・オエ」やフラ、ハワイ語についても触れています。]
◆日本人移民の以前から移住していたのは中国人でした(この歴史が、孫文によるハワイでの興中会結成につながっていきます)。中国人も日本人も、サトウキビ・プランテーションで働いたのでした。なお、「元年者」は3年契約でしたが、帰国したのは43人でした。ハワイに残った人たちとサンフランシスコに渡った人たちが、それぞれ50人ぐらいずつだったということです。3年後は1871年ということになりますが、当時のアメリカ合衆国は大陸横断鉄道開通(1869年)直後で、西海岸も活気に満ちていました。
◆なお、カリフォルニアへの日本人移民は、1869年が最初のようです。約20人の入植者たちは戊辰戦争で敗れた会津藩士らだったという事実には、驚かされます。カリフォルニアへの移民は、19紀末から増えていきます(アメリカ合衆国の大陸部には、現在約100万人の日系人がいます)。しかし、1924年の移民法によってアジア系移民が禁止され、ハワイを含むアメリカ合衆国への日本人移民の大きな波は終わっていきました。[ここでは詳述しませんが、1924年の移民法は、アメリカ合衆国のナショナル・アイデンティティとの関連で(WASPとの関連で)、たいへん重要です。]
◆このような歴史を考える時、「太平洋戦争における日系アメリカ人」という視点を忘れることはできないでしょう。第二次世界大戦の授業では、必ず触れなければならないと思います。
◆ブラジルへの移民は1908年からで、1973年まで続きました(戦後まで続いたことを認識しておかねばなりません)。現在160万人の日系人がブラジルにいます。なお、カナダからチリ、アルゼンチンまでの南北アメリカ大陸に、現在300万人近くの日系人がいるとのことです。
◆日本人の台湾移住は多くはありませんでしたが、1895年の植民地化以後のことです。日本の台湾統治は、半世紀に及びました。
◆日本人の南洋諸島への移住は、日本の委任統治領となった1920年以降のことです。
◆言うまでもありませんが、韓国併合後の朝鮮半島への日本人移住や「満州国」への移民も、極めて重要です。
□近現代における、国境を越えた日本人の歴史を知れば、現在世界各地で起きている難民・移民の問題も自分たちの問題として受けとめられるようになるのではないでしょうか。