♥世界史ブックガイド[文化と社会]⑩【ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』】

★「フェミニズム批評の古典」と言われる本の新訳が出ました(片山亜紀訳)。

★原著の出版は1929年でしたが、前年の講演をもとにしています。1928年は、イギリスにおいて、21歳以上の男女が平等に選挙権を持つようになった年でした。そのような時代の中で、ウルフは、女性が書いた文学の歴史をたどりながら、「貧困の中でだれにも顧みられずに仕事をしたとしても、そこにはやりがいがある」と若い女性たちに訴えたのでした。

★「女性がものを書くには、経済的に自立するとともにひとりになれる部屋を持たなければならない」というのが、ウルフのエッセイの中心テーマになっています。女性の精神的な活動の象徴として、「自分ひとりの部屋」という語が使われています。

★「もしシェイクスピアに妹がいたら」から述べられる、女性作家たちの苦闘の歴史には、目を見開かせられました。

 「どんな女性であれ、十六世紀に大きな才能を持って生まれたとしたら、気が狂うか、銃で頭を撃ち抜くか、あるいは男か女かわからない魔法使いと恐れられ嘲笑されて、村はずれの侘びしい小屋で一生を終えることになっただろうということです。」(第三章)

★ウルフは文学を軸に男性中心の社会とその歴史を批判しているのですが、次の箇所にはハッとさせられました。現在の世界史教科書の記述を思い出したからです。

 『わたしはトレヴェリアン教授の本に戻り、教授にとって歴史とは何を意味するのかを考えてみました。各章の見出しを見ると、教授にとっての歴史とは−「領主裁判所と開放耕地での農法……シトー派修道士たちと牧羊……十字軍……庶民院……百年戦争……薔薇戦争……ルネサンスの学者たち……修道院解散……農業および宗教上の対立……イングランド海軍力の起源……スペイン無敵艦隊……」等々。たまに個人としての女性への言及があっても、エリザベス一世メアリー・スチュアートなど、女王ないし貴族の女性です。』(第三章)

 この文章は、ストウやナイティンゲールやマリ・キュリーを例外として、ほとんど現在の世界史教科書にも当てはまってしまうのです。(日本の高校の世界史教科書でメアリー・スチュアートに触れたものはありませんが。)

★ウルフは、ジェイン・オースティンジョージ・エリオット(私は長い間男性だと思っていました)、エミリー・ブロンテなどを高く評価しています。しかし、現在の世界史教科書は、バンヤンさえ取り上げながら、これらの女性作家たちを切り捨てています。私は授業でブロンテ姉妹を取り上げてきましたが、シャーロット・ブロンテエミリー・ブロンテには触れているのではないかと思って捜しても、そのような教科書は1冊もありません。一見革新的な教科書(ジェンダーを積極的に取り上げたり、近代日本のアジア侵略を厳しく批判している教科書)の執筆者たちにとっても、19世紀イギリスの女性作家など、取るに足りないのでしょうか? これらの女性作家たちの苦闘を思う時、暗然とした気持ちになってしまいます。

★ウルフのエッセイがすばらしいのは、しかし、歴史的洞察とフェミニズムのためだけではありません。エッセイ全体に流れる文学的香気はたぐいまれなものだと思います。原著には不案内ですが、片山さんの翻訳は、それを十分に伝えているのではないでしょうか。特に第一章半ばの、クリスティナ・ロセッティの詩から始まる一節は、とても美しいものでした。いわゆる「意識の流れ」的な叙述も、そこかしこに見え隠れしていて、ウルフの文学世界の一端に触れることができます。

★訳文は、とても良質な日本語です。訳注もたいへん詳しく、読者の理解を助けてくれます。ただ、1カ所だけ残念なところがありました。89ページの人名ですが、「ペリクリーズ」は「ペリクレス」としてほしかったと思います。

★読みながら、私は紫式部樋口一葉を思い浮かべていました。「年収500ポンドが必要」とウルフは述べていましたが、一葉にそのような収入はなかっただろうと思います。その点では、巻末の訳者解説は適切です。なお紫式部は、第六章でサッフォー、エミリー・ブロンテと並んで紹介されていました。嬉しくなったと同時に、ウルフの見識の高さをあらためて感じました。

ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』(片山亜紀訳、平凡社ライブラリー、2015)】

※関連ページ ➡ 【エミリー・ブロンテは祈り、闘った】