<問いからつくる世界史の授業[資料]>(現代)【ロシア革命の困難】

★まもなく、ロシア革命(1917)から100年になります。ゴルバチョフペレストロイカからソ連邦消滅(1991)という出来事以降、ロシア革命をより客観的に振り返ることができるようになっていると思います。

★今回も、通常の高校世界史では使われない資料に基づいたオリジナル問題です。ただ資料をよく読めば、正解を導けるように作問してあります。

★授業は<問題+解説(◆の部分)>で構成します。


☆問題☆ [標準]

 次の資料は、ロシア革命中にクロンシュタット軍港の水兵たちが出した声明である。読んで、あとの問いに答えよ。

 わが国は困難な時期に遭遇しつつある。われわれは、すでにこの3年、飢え、寒さ、経済的崩壊という鉄の万力にしめつけられている。祖国を支配している共産党は大衆から遊離し、大衆を全面的崩壊の現状から救い出す力がないことがわかった。共産党は、最近ペトログラードやモスクワでおこった動乱が、党が労働者大衆の信頼を失ったことを十二分に証明しているということを考慮しなかった。
 そうした動乱、要求は、すべての人民、すべての労働者の声である。すべての労働者、水兵、赤軍兵士は、現時点において、労働者全体の努力と意志によってのみ、祖国にパン、たきぎ、石炭を提供でき、靴も服もない人びとに着せることができ、共和国を窮境から脱出させることができる、とはっきり見抜いている。(中略)
 同志諸君、勤労者すべての幸福のために秩序を、平穏を、忍耐を、新しく誠実な社会主義の建設を。
   クロンシュタット、1921年3月2日、臨時革命委員会 [松原広志 訳]

問 文中の太字部分の状況は、どのような政策によってもたらされたか。次の①〜④のうちから一つ選べ。

 ① パン・スラヴ主義
 ② 戦時共産主義
 ③ 新経済政策
 ④ 第1次五カ年計画
 

◆「1921年」に注目したいところですが、生徒たちにそこまで要求するのは難しいかも知れません。ただ、十月革命後の推移を理解していれば、解ける問題だと思います。

正解は、②の戦時共産主義(1918〜21)です。内戦期にとられたこの政策の柱は、農民からの食糧徴発でした。その結果、数百万人が餓死するという事態になっていました。クロンシュタットの水兵たちは、やむにやまれぬ気持ちから、共産党ボリシェヴィキ)への反旗を翻したのです。

◇この歴史をきちんと記している教科書は、残念ながらあまりありません。山川の『詳説世界史B』と『高校世界史』だけではないでしょうか。『詳説世界史B』では、次のように記されています。簡潔で適切な記述だと思います。

 「戦時共産主義の実施は、農業や工業の生産の混乱や低下をもたらして、多数の餓死者まで出す深刻な事態をまねき、1921年には労働者や兵士のなかからも共産党一党支配への反抗があらわれた。」

◆クロンシュタットは、ペトログラード近くの軍港です。常に革命の先頭に立ってきた水兵たち1万5千人が、「新しく誠実な社会主義の建設」を求めました。(この表現は、1968年の「プラハの春」を思い起こさせます。)水兵たちの臨時革命委員会は、もう一つの声明で、次のように述べていました。

 「銃剣、銃弾、チェカの罵声、これが永年にわたる闘争と苦悩ののちに、ソヴィエト・ロシアの労働者がえたものなのだ。共産党政府は、光栄ある労働者国家の紋章−鎌とハンマー−を、事実上、新しい官僚制の、銃剣と牢の格子とにすりかえた。なによりも醜悪で犯罪的なものは、共産主義者によってつくりだされた精神的な奴隷状態である。彼ら共産主義者は、労働者に党の公式どおりに考えることを強制することで、労働者の内的世界にも手をくだしたのである。(中略)労働の解放という美しいスローガンを最初にかかげた労働者のロシアは、共産主義者の栄えある支配のもとで、苦悩する人びとの血で満たされている。」[松原広志 訳]

◆しかし、レーニンたちは、徹底した弾圧で、これにこたえました。フィンランド湾は血で満たされました。そして、弾圧の直後、新経済政策へと転換したのでした。


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こんな考え方で書いていきます【<問いからつくる世界史の授業>について】