♥世界史ブックガイド[文化と社会]⑬【保苅瑞穂『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』

 「モンテーニュは有名だけど過去の思想家、現代とは関係ない」と、ほとんどの人が思っているでしょう。「ギリシア・ローマの古典に通暁した、ちょっと保守的な教養人」というイメージもつきまといます。それに、『エセー』を読むのはかなり大変です。

 私も、モンテーニュという思想家が気になりながらも、長大な『エセー』を読み通す根気強さはなく、ところどころ拾い読みしてきただけでした。「なるほど」とは思っても、悲しいかな、ギリシア・ローマの古典に親しんでいないため、古典からの引用にやや辟易してしまうこともありました。

 ただ、世界史の授業でも倫理の授業でも、ユグノー戦争(1562〜98)の時代に生きた人であることは、強調してきました。フランスの内乱の時代に、モンテーニュ(1533〜92)がどう考え、どう生きたのか、そのことには強い関心があったからです。そして、『エセー』(執筆は1572〜92)の次の一節を、生徒たちには読んでもらってきました。ユグノー戦争を批判した部分です(長年、関根秀雄訳を使ってきましたが、今回は保苅瑞穂訳です)。

 <なんとも異常な戦争である。ほかの戦争は外に向かっておこなわれるのに、この戦争はまたしても自分に刃向かって、自分を囓り、自分自身の毒で敗れる。その性質は邪悪で破滅的だから、戦争は残余のものを巻き込んで崩壊し、怒り狂ってわが身を引き裂く。この戦争は必要品の欠如や敵の兵力に敗れるよりも、自分自身によって敗れるのを、われわれはたびたび目撃している。すべての規律が戦争から逃げ出す。規律は反乱を鎮めにやって来るものなのに、自分が反乱で満ちあふれ、反逆を罰しようとして、自分でその手本を示している。法を守るために使われるこの規律は、自分自身の法に背いて、謀反の役を演じている。一体われわれはどうなっているのか。>

 残念なことに、モンテーニュの指摘は、そのまま現代の世界にあてはまります。内戦と難民、テロと報復など、止むことのない国際紛争の中で、私たちは立ちすくんでいます。「一体われわれはどうなっているのか。」

 著者は、『エセー』の文章を、執筆時期により三つに腑分けしながら、モンテーニュが何を考えどう生きたのかを、さぐっていきます。そして、『エセー』という長大な織物が解きほぐされ、地の図柄が浮かび上がります。そこに現れたのは、極めて現代的なモンテーニュ像でした。

 「第1部 乱世に棲む」は、緩やかな筆致のⅢ章をはさみながら、緊迫感に満ちた文章で、激しい時代を生き、考え抜いたモンテーニュを描いています。「授業で行ってきたことは間違いではなかった」という思いを強くしました。また、ブラジル先住民についての偏見のない見方にも、驚かされます。モンテーニュは、世界が多様であり、複数の価値観が存在するということに、何の疑いも持っていなかったのでした。

 「第2部 モンテーニュはどう生きたか」では、モンテーニュの世界観・死生観が明らかにされます。第1部よりは穏やかな印象を受けますが、実は信仰という重いテーマが潜んでいます。たとえば、モンテーニュに関する、サント=ブーヴ(19世紀のフランスの批評家)の次のような言葉が引用されています。

 <「かれは少しもキリスト教徒ではなかったのであるが、はなはだ善良なカトリック教徒のように見えたのだ。」>

 一般的なモンテーニュ像を裏切る言葉です。著者はサント=ブーヴのように断定はしていませんが、モンテーニュの信仰がパスカルなどとは大きく異なるものであったことを指摘しています。キリスト教以前のギリシア・ローマ世界を本質的に継承したのがモンテーニュでした。その意味で、典型的なルネサンス人であったのです。ただユニークなのは、モンテーニュが、人間と世界を、あくまでリアルに見つめていたことです。宗教的情熱、イデア的な観念、ニヒリズム、ペシミズム、これらはすべてモンテーニュと無縁です。モンテーニュは、現実に堪えながら、しかも現実を享受しようとしていました。多分、神に救いを求めずに。

 日々の生活を生き切るために、モンテーニュは倦まず思索しました。第2部の後半で著者は、万物が変転するこの世界の中で人生を享受しようとするモンテーニュを描き出しています。モンテーニュは、死さえも享受しようとしていました。ヨーロッパ人としては稀なことだと思いますが、モンテーニュは、すべての形而上的観念から自由だったのです。もしかしたら、モンテーニュは、すでにツァラトゥストラの先を歩んでいたのかも知れません。400年という隔たりを忘れさせるほど、モンテーニュの人生観・世界観は、私には近しく感じられました。3.11以後、私たちは、無常という現実に直面しながら、希望を紡ぎ、日常を愛おしんできました。そのような私たちのそばに、モンテーニュはいるように思われるのです。

 本書の終わり近く、『エセー』の中から、次の言葉が紹介されていました。

 <もっとも美しい魂とは、もっとも多くの多様さと柔軟さをもった魂である。>

 コンフォーミズムに陥ることなく、このような魂を持つには、どうすればいいでしょうか? モンテーニュのメッセージは、避けることのできない問いを呼び起こしながら、心深く届いてきました。


【保苅瑞穂『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』(講談社学術文庫、2015年、単行本は2003年)】
 
※保苅瑞穂氏は、現在、『群像』誌上に「モンテーニュの書斎」を連載中です。

※関連ページ ➡ 【ユグノー戦争とモンテーニュ】