♥世界史ブックガイド⑭[文化と社会]【金谷治『孟子』】

 最近は新刊書の案内をしてきましたが、今回は半世紀前に出版された本です。

 特に古い本を取り上げようという気持ちはなかったのですが、孟子について調べていて、興味深いことがわかりました。それは、近年、孟子についての本はほとんど出ていないという事実です。孔子や『論語』については、子供向けの本から専門書まで、たくさんの本が出版されています。しかし、「孔孟」と並び称されてきたにもかかわらず、最近孟子について書かれた本はほとんどありません。手に入りやすい概説書としては、今回取り上げた本のみではないかと思われます。このことは、何を意味しているのでしょうか?

 ずいぶん前に書かれた本ですが、著者は孟子の思想を生き生きと叙述しています。最大の特色は、『孟子』の逐条的な解説を避け、文献批判に基づいて、孟子の思想形成過程を明らかにしようとしている点です。有名な「性善説」についても、いつ頃孟子の中で生まれたか、孟子の思想の中でどういう位置づけになるかなどが、明解に述べられています。もちろん、孟子の生涯も可能な限りたどられています。

 孟子の生没年はよくわかっていませんが、彼が生きたのは戦国時代(前403年〜前221年)の前半でした。孔子の死去から約百年後に(前372年?)、孔子の故郷である魯の隣国(現在の山東省中部)に生まれました。墨子の死の直後にあたります。また、蘇秦張儀荘子が同時代人ということになります。孟子が亡くなった(前289年?)あと、荀子が登場しました。本書によれば、孟子の思想は、紀元前4世紀後半の諸国遊説時代に確かなものとなりました。

 思想の中心は、やはり「王道政治」です。いわゆるマキャヴェリズムの正反対で、政治に徹底した道義性を求めました。「徳によって仁政を行う者」が王者であり、「力を背景として仁政のまねをする者」が覇者とされました。また、「徳による仁政」の根本には、次のような考え方がありました。

 「民衆が貴い。国家の象徴としての土地神、穀神がその次で、君子は軽い。」

 このような考え方に立てば、当然「易姓革命」を支持することになります。民衆への仁政に照らして、「統治者[の姓]を易(か)え、天命を革(あらた)める」わけです。著者は、孟子の封建性を前提としながらも、「孟子の政治哲学が持つ民主的な傾向」と述べています。もちろん、孟子はデモクラシーの制度を構想したわけではありません。多分農民反乱を積極的に肯定することもなかったでしょう。しかし、民衆の生活の安寧に政治の基盤をおき、「一姓による永久の支配」を否定したことは重要です。

 このような孟子の思想は、現在の中国では、どのような意味を持つでしょうか? 多分、20世紀の度重なる儒教批判の中で、『孟子』はほとんど読まれなくなったと思います。しかし、「民主」と孟子がつながる可能性はまだあるのではないでしょうか。清朝の「文字の獄」と変わらない言論・思想統制は、いつか行き詰まるはずです。

 一方日本では、孟子の思想はどう受け取られてきたのでしょうか? 私見では、日本における孟子受容は性善説を中心としたものだったように思われます。それは、仁義礼智の「はじめ(端)」を伸ばすための教育の重視とも結びついていました。道徳教育の重視は、孔子の思想を受け継ぐものですし、「性悪説」を唱えた荀子とも共通でした。道徳教育重視と祖先崇拝は、東アジアの儒教の共通の要素だったと思います。理想としての「王道政治」も、君主の心構えとしては、一応受け入れられてきたでしょう。

 しかし、「民衆が貴い、君子は軽い」という思想は、どうでしょうか? 「易姓革命」は、どうでしょうか? これらの思想は、日本では多くの場合、意識的に避けられてきたように思われます。江戸から明治への大転換さえ、「革命」という語は使われず、「維(こ)れ新たなり」(『詩経』)が使われたのです。孟子の中核的思想を受けとめ切れない状況は、日本の政治思想の深部の問題につながっているように思われます。また、西欧の政治思想との比較や接合は、十分になされないままできたと思います。そう考えると、孟子についての本の出版の少なさも理解できるような気がしました。

 著者も触れていましたが、孟子の「性善説」と大乗仏教の「仏性」の考え方には、共通性がありました。「性善説」は、日本人の心情には合致するものだったと思います。多分、それだけではありません。この二つは、日本人の心性の中では、無意識のうちに「清き明きこころ」とも融合してきたのだと思います。しかし、特に日清戦争以後の歴史は、それが実に脆いものであったことを示しました。不思議なことですが、「性善」も「仏性」も「清き明きこころ」も、対外的な凶暴性と同居できたのです。このことを、私たちはどのように振り返ってきたのでしょうか?

 本書は、孟子の「性善説」が人間性への信頼であり理想の追求にほかならなかったことを、力強く伝えています。と同時に、私の中にいくつかの重い問いを呼び起こしたのでした。

金谷治孟子』、岩波新書[1966年第1刷発行、2015年第25刷発行]】