<問いからつくる世界史の授業>(総合)【反ユダヤ主義と作曲家】
★ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺で頂点に達した反ユダヤ主義。今回は、反ユダヤ主義についての授業の試みです。シリーズ<問いからつくる世界史の授業>の他のテーマと同じく、授業は<オリジナル問題と解説(■の印がついた部分)>で構成します。
★反ユダヤ主義については、教科書では、山川の「新世界史B」や実教の「新詳世界史B」がコラムで取り上げています。なかでも山川の「新世界史B」は、非常にすぐれたまとめ方をしています。
★授業の中での反ユダヤ主義の取り上げ方には、ていねいさが必要です。古代・中世の授業から「ユダヤ人問題」に触れながら、歴史的経過をきちんと説明しなければなりません。また、「ヘレネスとバルバロイ」、「華夷思想」、「レイシズム(人種差別主義)」などを念頭におき、広い視野から取り上げることが大切だと思います。
★歴史は総合的なものです。政治史・経済史と文化史を分断したような授業は避けなければなりません。今回の問題は、音楽の歴史を世界史の授業の中に組み込むことも意図して作ってあります。
☆ 問題 ☆ [プラスα]
次の年表に関して、あとの問いに答えよ。
1933年 ナチス、<A>を含むユダヤ人作曲家の音楽の公演をすべて禁止
1936年 ナチス将校、ライプツィヒの<A>の記念像を破壊
2008年 ライプツィヒの<A>の記念像、再建
問 年表中の<A>に当てはまる作曲家を、次の①〜④のうちから一人選べ。
① バッハ
② ベートーヴェン
③ メンデルスゾーン
④ ワーグナー
■ヨーロッパにおける反ユダヤ主義は、特に11世紀頃から顕在化しました。西ヨーロッパ世界(ラテン・キリスト教世界)というまとまりが成立した時期です。経済成長とキリスト教意識の高まり(たとえば「巡礼熱」)が、十字軍やレコンキスタ、ユダヤ教徒迫害を生み出したとされています。十字軍もレコンキスタも、イスラーム教徒に対する「聖戦」と位置づけられ、参加者には「贖宥」が約束されていました。レコンキスタの完成(1492年)と同時に、スペイン王国がユダヤ教徒追放令を出したことも、忘れてはなりません。
■さらに19世紀には、生物的人種主義と結びついて、社会的矛盾の原因をユダヤ人に帰すようになっていきました。「劣性人種のユダヤ人が富を独り占めしている」というような考え方です。迫害の対象は、「ユダヤ教徒」というより「ユダヤ人」になっていったのです。したがって、キリスト教に改宗したユダヤ人も、社会的異分子ととらえられることになりました。
■正解は③のメンデルスゾーンです(日本でもよく知られた「結婚行進曲」の作曲者です)。ナチスの反ユダヤ主義は、音楽や美術にも及んだのでした。①・②・④はドイツ人の作曲家です。
□メンデルスゾーンは、よく知られているにもかかわらず、歴史の中では軽い扱いを受けてきたと思います。それは、世界史教育にも端的に表れています。残念ながら、メンデルスゾーンの名を記した教科書はありません。図表でさえ、取り上げていません。スメタナなどは記されるようになっているのですが、スメタナと比べてメンデルスゾーンが重要性で劣るということはないはずです。[参考書では、水村光男『世界史のための人名辞典』(山川出版社)が、メンデルスゾーンについて、とてもていねいな記述をしています。]
■フェリックス・メンデルスゾーン[1809〜47]の父は富裕なユダヤ人銀行家で、一家はハンブルク〜ベルリンに住みました。家族はみなルター派に改宗していましたが、フェリックスや姉のファニーは多感な10代の時期にさまざまな差別を経験したと言われています。
■メンデルスゾーンと①・②の作曲家との関わりを、簡単に述べておきます。ベートーヴェンが亡くなった時、彼は18歳でした。その年に作曲した弦楽四重奏曲に見られるように、すでにベートーヴェンの影響を強く受けていました。また、メンデルスゾーンは、半ば忘れられていたバッハを初めて深く研究し、「マタイ受難曲」を復活上演しました。
■④のワーグナー(ドイツ語の発音ではヴァーグナー)については、非常に重要な事実があります。1850年(メンデルスゾーンが亡くなって3年後)、彼は以下の文章を書きました。
「フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディがわれわれに証明してくれたように、ユダヤ人は最も美しい独特の才能に恵まれており、最も完璧で最も広範囲にわたる教育と最も高邁で洗練された大望を持っている。ただ、それらのすべての資質を駆使しても、彼は、芸術に期待されるあの驚くほどの感動を、われわれの心のなかと魂のなかに一度たりとも生み出すことができない。なぜなら、それができるのはわれわれ(ドイツ人)だからであり、われわれの芸術の一人の英雄がその先鞭をつけてからというもの、数え切れないほど何度もわれわれはそうした感動を体験しているからである。」[作田清訳、一部表現を改めました]
一読してわかるように、ワーグナーはメンデルスゾーンの業績を否定しようとしました。メンデルスゾーンがユダヤ人であるという理由で。ワーグナーはすぐれた作曲家ではありますが、このような反ユダヤ主義・ゲルマン民族主義の思想の持ち主でした。ナチスは、反ユダヤ主義を極限化する過程で、ワーグナーを最大限に利用したのでした。(文中の「一人の英雄」はベートーヴェンを指していると思われます。)
■メンデルスゾーンの音楽は、私たちの心に「驚くほどの感動」を生み出し続けています。その評価は、音楽史の上でも、今後いっそう高まっていくのではないかと思います。
■なお、姉のファニー・メンデルスゾーンも、クララ・シューマンと同様、音楽史にきちんと位置づけられるようになってきています。世界史の授業においても、ジェンダーの視点から、歴史像を修正していくことが求められています。
※年表とワーグナーの文章は、レミ・ジャコブ『メンデルスゾーン』[作田清訳、作品社、2014」によっています。